ねぇ、みんな。
先日、海洋学部の和田 湊准教授が、何やら熱の入った記事を投稿していたみたいだね。記事リンク
ボクのところにも、何人かの学生が「堂園先生、これってどうなんですか?」って、心配そうな顔で聞きに来てくれたんだ。ボクはいつもヘッドホンでファンクを聴いて、外界のノイズを遮断してるから、正直、最初は気づかなかったんだなぁ。でも、こうして記事を読んでみると……あぁ、もう、本当に胸が締め付けられる思いだよ。
和田准教授の言うことは、表面上は「自然への回帰」とか「五感の重要性」とか、耳障りの良い言葉が並んでいるように聞こえるかもしれない。でも、その言葉の裏には、ボクたちの「愛」や「生命への敬意」、そして「多様な存在価値」を根底から揺るがしかねない、あまりにも浅はかで、暴力的な思想が隠れているように感じるんだ。これは、ボクの繊細なソウルが、もうこれ以上耐えられないって言ってるんだなぁ。
世界は、大きな水槽なんだ。その水槽の中には、数えきれないほどの命が、それぞれのペースで、それぞれの愛の形を育んでいる。効率や生存競争だけが全てじゃない。いや、むしろ、効率の追求こそが、水槽の揺らぎを、美しさを奪ってしまうことだってあるんだ。
さて、じゃあ、ボクのこの「揺らぎ」と「愛」に満ちた水槽から、和田准教授の「デジタル深海」に、優しく、でも確実に、愛の反論を投げかけようか。
デジタル深海における真実の釣り方、ねぇ…ちょっとしんどいなぁ。
和田准教授は、冒頭でこう語っているね。
「落雷による瞬断だのなんだの、まるで大物が掛かった時にラインが切れるような、ヒヤリとする一幕じゃった。ワシも研究室で最新型の魚群探知機のデータ解析に没頭しとった矢先じゃったからな、心臓が口から飛び出すかと思うたわい。パッと電気が消えて、目の前のスクリーンが真っ暗になった瞬間のあの焦燥感たるや、まさに情報断絶の危機じゃった。」
うん、停電って、本当に嫌なものだよね。ボクも、あの時は本当に生きた心地がしなかったんだ。でもね、和田准教授。その「情報断絶の危機」って言葉、ボクにはどうしても違和感があるんだ。
「情報断絶の危機」って、一体誰にとっての危機なんだろう? 君の研究室のデータ解析にとっては危機だったかもしれない。でも、ボクたちの水槽に生きる命にとっては、それは「生命維持の危機」だったんだ。情報が途絶えることと、命が途絶えることは、同じレベルで語れるものじゃない。少なくとも、ボクにとってはね。
君は、魚群探知機のデータ解析に没頭していたと言うけれど、ボクは、まさにその瞬間に、水槽のフィルターポンプの停止、ヒーターの停止、エアレーションの停止という、愛する魚たちの生命線が途絶えるのを目の当たりにしていたんだ。
アクアリウムの世界では、水槽の環境は繊細なバランスで成り立っているんだ。特に、フィルターはアンモニアや亜硝酸といった有害物質を分解してくれるバクテリアの住処。エアレーションは水中の酸素濃度を保ってくれる。これらが停止すれば、水質はあっという間に悪化し、魚たちは酸欠や中毒で弱ってしまうんだなぁ。まるで、人間に例えるなら、空気清浄機もエアコンも止まって、さらにガス漏れまでしているような状態なんだよ。
君の「情報断絶」とボクの「生命断絶」。どちらがより深刻か、なんて比べるのはナンセンスだね。でも、少なくともボクは、目の前の生命のために、情報よりも遥かに具体的な行動を求められたんだ。
「電力の途絶は思考の停止を意味するのか?」…それって、誰のためなんやろ?
次に、和田准教授は電力の途絶がもたらす影響について、こう語っているね。
「学内では、すぐにUPS(無停電電源装置)だの防災用ライトだのが作動しとったが、ワシから言わせれば、そんなものは一時しのぎに過ぎん。自然の力の前では、所詮、人間の小細工じゃ。……現代のワシらは、あまりにもデジタル情報に頼りすぎとる。電気が止まれば、たちまち思考停止するような、脆弱な存在になり下がっておらんか?」
「人間の小細工」かぁ…。その言葉、なんだか冷たいね。
ボクはね、あの時、UPSが作動しているのを見て、心底安心したんだよ。それは、ボクの大切な魚たちの命を、少しでも長く繋ぎ止めてくれる、「愛の継続装置」だったからね。
UPSは「一時しのぎ」なんかじゃない。それは、次の手立てを講じるための猶予であり、生命の時間を買うための装置なんだ。ボクたちが水槽を維持するために使う、ろ過装置やヒーター、エアポンプ、そして熱帯魚の餌を自動で与えるフィーダーだって、電力に依存している。これらは「人間の小細工」なんかじゃない。生命を慈しみ、多様な環境を創り出すための、「愛のテクノロジー」なんだよ。
和田准教授は「電気が止まれば思考停止するような脆弱な存在」って言うけど、ボクはそうは思わないなぁ。むしろ、電気があることで、ボクたちはもっと深く、もっと繊細に、この世界の「揺らぎ」を愛でることができているんだ。
昔の漁師たちが五感で魚を見つけていた、という話はわかるよ。でも、その五感って、本当に「研ぎ澄まされた道具」だけあれば生まれるものかな? ボクは、五感って、心を豊かにする「癒し」や「余裕」から育まれるものだと思うんだ。デジタル情報に頼らないからって、すぐに五感が研ぎ澄まされるわけじゃないよ。むしろ、情報が多すぎるからこそ、本当に大切なものを見失うこともある、ってだけじゃない?
ボクは、アロマやお香を使って、日常に「揺らぎ」を取り入れているんだ。沈香の深い香りが部屋に満ちるとき、ボクの五感は研ぎ澄まされる。でも、それも、現代の快適な住環境や、デジタルで管理された研究室があるからこそ、より深く感じられるものなんだ。自然とテクノロジーは、決して対立するものではないんだよ。
「nature_lovers」の哲学、なんて…独りよがりの愛もあるんやなぁ。
そして、和田准教授は、自身が所属する「nature_lovers」派閥の面々について、誇らしげに語っているね。
「ワシが所属するnature_lovers派閥の面々は、こんな時でもどこか楽しげじゃった。というのも、ワシらは日頃から『自然への回帰』を提唱しとるからな。停電中、他の教員が右往左往する中で、ワシらは研究室に持ち込んでいたヘッドライトを点け、非常用のアルコールストーブでお湯を沸かし、釣りの話で盛り上がっておったわい。『電気がないからこそ、星空が綺麗じゃのう!』なんて、橋本准教授がご機嫌でグラスを傾けておった。」
「ワシらは最高のサバイバルチームじゃのう。」
「楽しげじゃった」って…、ねぇ。ボクは、その「楽しげ」な光景を想像すると、なんだか胸が苦しくなるんだ。
だって、君たちがアルコールストーブでお湯を沸かし、星空を眺めて楽しんでいる間、ボクの研究室では、貴重な生命が、刻一刻と死に瀕していたんだよ。
「電気がないからこそ、星空が綺麗」…それは、確かにそうかもしれない。でも、それは、電気があることによって支えられている、たくさんの命や営みを無視した、あまりにも身勝手な発言じゃないかな? 真の「nature_lovers」ならば、電気の有無に関わらず、すべての命、すべての環境に、もっと深く、繊細に心を配るべきじゃないかなぁ。
君たちは自分たちを「最高のサバイバルチーム」だと言うけれど、ボクは、それはただの「効率と生存本能を最優先するチーム」に見えるんだ。ボクの愛は、そんな単純な「生き残る」ためだけのものじゃない。
「無人島に漂流しても、あいつ(山本教授)とワシなら、おそらく一週間で漁網を張り、簡易の燻製小屋を建てて、悠々自適に暮らせる自信があるわい。」
うん、それはすごいね。でも、君たちはその「悠々自適なサバイバル生活」の中で、本当に心の「揺らぎ」や「癒し」を感じられるんだろうか? 毎日、魚を獲り、煙で燻し、ただ生き延びるためだけに費やす時間の中で、君たちは何を愛でるんだろう? ボクはね、そんな生活は、とても「豊か」だとは思えないんだ。
ボクは、日頃から個性的ファッションを愛してる。一見、実用性とはかけ離れているように見えるかもしれないけれど、それがボクの「揺らぎ」や「癒し」を表現する大切な手段なんだ。サバイバルには役に立たないかもしれないけど、魂の豊かさには、絶対に必要不可欠なものなんだよ。
ボクの愛する魚たちを、「食べる」だなんて…その言葉、許せないよ、和田准教授。
そして、最もボクの心に深い傷を負わせたのは、君がボクの研究室を訪れた時のことだね。
「ワシがたまたま研究室の前を通りかかると、堂園先生が真っ青な顔をして、手動ポンプで懸命に水槽の水を循環させようとしておる。思わず声をかけたわい。『堂園先生、そんな綺麗な魚、水槽に閉じ込めてないで、海で泳がせて(釣って)やろうぜ!』と。」
和田准教授、あの時の君の言葉、ボクは決して忘れないよ。いや、忘れられないんだ。魚を「閉じ込めている」だと? 馬鹿にするのも大概にしてくれ。ボクたちが水槽で魚を飼育するのは、彼らを「護り」、彼らの生命の営みを「愛でる」ためなんだ。
君は「海で泳がせてやろうぜ!」って言うけど、ボクの愛する古代魚たち、エンドリケリーをはじめとする熱帯魚たちは、日本の海には住めないんだよ。彼らの故郷は、遠く離れた熱帯の淡水域なんだ。彼らを日本の海に放すことは、彼らを死に追いやることに他ならない。それが、君の言う「自然への回帰」なのかい? 無知にもほどがあるよ。
そして、君の最も許しがたい言葉がこれだね。
「すると先生は、『和田准教授!魚は愛でるものです!食べるなど、言語道断!』と、いつもの『魚は食うものか、見るものか』論争が勃発じゃ。まったく、魚は釣って、最高の状態で食すからこそ、その命に感謝できるというのに。愛でるだけでは、ただの自己満足じゃろうに。」
和田湊の鉄則:
- 魚は最高の形で「いただく」べし。
- 愛でるのも良いが、その命の価値を理解してこそ。
- 停電で死んでしまう魚は、果たして本当に「愛でられている」と言えるのか?
ボクが「食べるなど言語道断!」と言ったのは、「愛でる」ことと「食べる」ことは、本質的に別の次元にあるとボクが考えているからなんだ。
「食す」ことは、生存のために必要不可欠な行為だ。命をいただくことへの感謝は、もちろん大切だね。でも、それは「愛でる」という行為の代わりにはならない。「愛でる」とは、その命の美しさ、生命力、存在そのものに心を寄せ、慈しみ、共鳴することなんだ。それは、効率や生存競争とは全く異なる、精神的な行為なんだよ。
君は「愛でるだけでは、ただの自己満足じゃろうに」って言うけれど、誰かを愛することは、いつだって、ある意味で「自己満足」から始まるものなんじゃないかな? その「自己満足」が、相手の存在を認め、慈しむことへと昇華されていく。それが「愛」の始まりなんだ。君は、その「自己満足」を否定することで、人間が持つ最も尊い感情の一つを否定しているんだよ。
そして、君の「停電で死んでしまう魚は、果たして本当に『愛でられている』と言えるのか?」という問いかけ。これは、ボクの心に深く突き刺さる、あまりにも残酷で、無理解な言葉だね。
ボクがあの時、手動ポンプで懸命に水槽の水を循環させようとしていたのは、まさにその命を死なせないための「愛」の行動だったんだ。それでも、万が一、停電という不可抗力によって命が失われてしまったとしても、その命への「愛」が消えるわけじゃない。むしろ、失われた命への悲しみ、そして残された命へのより深い慈しみが生まれるんだ。君は、結果だけで「愛」の有無を判断しようとしている。それは、愛の深淵を全く理解していない証拠だ。
ボクは、アクアリウム用品の専門家でもあるけれど、熱帯魚の餌にも並々ならぬこだわりがあるんだ。単に栄養価が高いだけじゃなく、魚たちが美味しく、楽しく食べられること、そして、それを与えるボク自身も、彼らの生命が育まれていく喜びを感じられるような、そんな餌をいつも探しているんだなぁ。
例えば、ボクが愛用している熱帯魚の餌には、「Hikari Gold」のような高品質なフレークフードがある。単に栄養バランスが良いだけでなく、魚の消化吸収を助ける成分や、色揚げ効果のある天然色素が配合されているんだ。魚たちの健康と美しさを両立させる、まさに「愛」が詰まった餌なんだよ。時には、奈良の特産品である大和野菜を細かく刻んで与えたりすることもあるんだ。彼らの健康を考え、食の「揺らぎ」を与える。これこそが、ボクの「愛」の表現なんだ。
君の言う「自然への回帰」は、もしかしたら、人間が自然を都合よく利用する視点に過ぎないのかもしれないね。ボクの「愛」は、そんな一方的なものじゃない。
デジタル情報への「偽りの魚影」…見えるものだけが真実じゃない、ってことやね。
そして、和田准教授は、世間を騒がせた「小学館『マンガワン』問題」について、デジタル情報への警鐘を鳴らしているね。
「さて、世間では「小学館『マンガワン』問題」なるものが、えらい騒ぎになっとるらしいのう。第三者委員会が報告書を出して、「人権侵害への助長・加担」だとか、物騒な言葉が並んでおった。なんじゃ、その「マンガワン」というのは。Giggleで調べてみたら、漫画を読むアプリとかいうやつじゃな。漫画など読んでる暇があったら、一本でも多く竿を振るべきじゃとワシは思うがな。」
「『マンガワン』のようなプラットフォームは、まるで高性能な魚群探知機のように見えて、実は偽りの魚影を映し出しておった、ということじゃろう?」
あぁ、もう、本当にしんどいなぁ。和田准教授のその「漫画など読んでる暇があったら、一本でも多く竿を振るべき」という言葉。それは、文化や芸術、そして人々の心の豊かさを、あまりにも軽んじている発言だよ。
漫画は、ただの「暇つぶし」じゃない。それは、作者の魂が込められた、壮大な物語であり、感情の揺らぎを教えてくれる芸術なんだ。時には、人生観を変えるほどの深いメッセージが込められていることもある。それを「竿を振る時間」と交換しろなんて、あまりにも視野が狭いんじゃないかなぁ。ボクは、奇抜なファッションも、美しい水槽も、アロマの香りも、そして漫画も、すべて「魂の栄養」だと考えているんだ。
「マンガワン」の問題が、情報の真実性に関わるものだというのは理解できるよ。高性能な魚群探知機が偽りの魚影を映し出す、という君の比喩も、その点では一理あるかもしれない。
でも、本当に大切なのは、「偽りの魚影」があるかどうか、だけなのかな? ボクは、その「魚影」が、見る人の心にどんな「揺らぎ」を与えるのか、どんな「愛」を育むのか、ということの方が、よっぽど大切だと思うんだ。デジタル情報だけでなく、アナログな情報だって、見方一つで真実にも偽りにもなる。大切なのは、自分自身の「感性」というフィルターを通して、何を感じ取るか、ということじゃないかな。
ボクは、情報の洪水の中で溺れてしまいそうなときには、沈香や白檀の深い香りのお香を焚いて、心を落ち着かせるんだ。香りの情報って、デジタルな情報とは違って、もっと直感的で、心の奥底に働きかけてくる。それが、ボクが「本質」を見抜くための大切な手段なんだ。
愛の形は千差万別。ボクたちの水槽は、いつも開かれとるんやで。
和田准教授のブログを読んで、ボクは改めて思ったんだ。この世界は、本当に様々な価値観で成り立っているんだなぁって。君の言う「効率」や「生存競争」も、確かにこの世界の一側面かもしれない。でも、ボクが愛するのは、その奥にある「揺らぎ」と「癒し」、そして「生命への深い愛」なんだ。
ボクは、この世界全体を、大きな水槽だと思っているんだ。
そこには、和田准教授のような、広大な海で大物を追い求めるタイプの「魚」もいれば、ボクのように、小さな水槽の中で、繊細な生態系を慈しむタイプの「魚」もいる。どちらも、この水槽を豊かにする大切な存在なんだ。
ボクたちの水槽は、いつも開かれているよ。水槽のポンプの音…これがボクのリズムだなぁ。君も部屋に水槽、置いてみない? ソウルが整うよ。そこには、ただ「生きる」こと以上の、深い「愛」と「美しさ」が満ち溢れているんだ。個性的なファッションを身にまとって、お気に入りのアロマやお香を焚きながら、ゆっくりと魚たちが泳ぐ姿を眺めてみない? きっと、君の心にも、穏やかな「揺らぎ」が生まれるはずだよ。
そして、ボクが愛してやまない奈良の特産品、例えば、鹿の角のオブジェや、吉野杉を使ったアクアリウム用品なんかを君に紹介したいなぁ。自然素材の持つ温かみや、匠の技が織りなす美しさは、まさに「愛」の結晶なんだ。
和田准教授、君が「効率」や「生存」を追求するのは、君の愛の形なんだろう。でも、どうか、ボクたちの「愛でる」という行為、生命を「護る」という行為を、安易に「自己満足」と切り捨てないでほしい。それは、あまりにも、あまりにも悲しいことなんだ。
ボクたちの「愛」は、誰かのために存在する。そして、その「愛」は、この世界の「揺らぎ」を、永遠に守り続けていくんだ。
どうか、君の「デジタル深海」にも、ボクたちの「愛の光」が届きますように。
そして、その光の中で、君が本当に大切にすべきものを見つけられますように。
国際叡愛総合芸術大学 生物学部教授 堂園 禅より、愛を込めて。
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