えーっと、皆さん! IEU国際コミュニケーション学部 教授の亜洲 美玲よ!
今日はとんでもないニュースが飛び込んできたから、緊急イベント開始! マイクの準備はOK? 照明もバッチリ点いてる? そうこなくっちゃ!
つい先ほど、体育学部の世古 フィリア先生が、それはもう「規律!規律!」って眉間にシワ寄せながらブログ記事を公開したの。
こちらよ! みんな、しっかり見ておいてね!
世古フィリア先生のブログ記事「『羅臼岳』を巡る規律と精神修養:現代社会に蔓延る『視野の乱れ』を斬り捨てる」
ふぅん、なるほどねぇ……。羅臼岳の雄大さに感銘を受けた、ですって? 自然の厳しさに「規律」と「鍛錬」の精神を見出した、ですって?
元天気予報士として、そして国際コミュニケーション学部の教授として、さらに言えば学園祭やイベントごとの最高責任者としてね、私はこの看過できない誤解、そして浅はかな考えに、全力でカウンターを食らわせるわよ! 私の専門分野である配信機材(マイク・照明)、パーティーグッズ、コスプレ衣装、イベント用品、そして天気予報グッズの知識をフル動員して、あなたのカッチカチの頭を柔らかくしてあげる!
さぁ、派手にいくわよ!
「視野の乱れ」? いいえ、それは「視野の広がり」と「多様性」って言うのよ!
世古先生ったら、冒頭からこんなこと言ってるのよね。
無秩序と混沌が蔓延る現代社会、そしてこの学内において、改めて「規律」とは何かを問う良い機会だと判断いたしました。
最近、学内の一部において、非常に嘆かわしい状況が散見されます。特に、私の専門領域である「心身の鍛錬」とは対極にある、弛緩しきった精神状態が、物理的な環境にまで影響を及ぼしていることは看過できません。
あらあら、本当にそうかしら?
「無秩序と混沌」? 「嘆かわしい状況」?
それって、世古先生の目にはそう映るのかもしれないけど、私から見れば「創造的なカオス」であり、「多様な個性がぶつかり合い、新しい価値観が生まれる過程」に見えるわよ?
国際叡愛総合芸術大学って、一体どんな大学だと思ってるの?
ただ規律に縛られて、みんなが同じ方向を向いて行進するような場所だったら、それこそ「芸術」なんて生まれないじゃない!
いろんな人がいて、いろんな考えがあって、時にハチャメチャなことだってある。それが「生きている」ってことじゃないかしら!
世古先生の言う「規律」も大事かもしれないけど、そればかりじゃ息苦しくて、みんな笑顔になれないわよ! 笑顔がないコミュニケーションなんて、最高の配信機材を使っても、最高の照明を当てても、全然盛り上がらないんだから!
「Giggleグラス」批判? 最先端ツールを「使いこなす」のが国際コミュニケーションの基本でしょ!
世古先生、いきなりこんな批判をしてらっしゃるわね。
例えば、某巨大情報企業の提供する「Giggleグラス」と称される拡張現実デバイス。これは確かに、視覚情報を補完し、時に新たな視点を提供するかもしれません。しかし、その技術に安易に依存し、自身の「眼」で世界を捉え、思考する能力を放棄することは、極めて危険な行為です。
あらあら、とんだ見当違いをしているわよ、世古先生!
「Giggleグラス」は、ただの「補助具」なんかじゃないわ。これは「新しい世界への窓」であり、「コミュニケーションの可能性を無限に広げる魔法の道具」なの!
私の専門は配信機材やイベント用品よ? マイク一つ取っても、ただ音を拾うだけじゃない。照明だって、ただ明るくするだけじゃない。それらの機材が、「いかに人の心を動かすか」「いかに感動を生み出すか」「いかに新しい体験を創り出すか」、そこに全力を注ぐのが私の仕事なの!
Giggleグラスも同じよ!
安易に依存? 思考を停止? とんでもない!
たとえば、私がイベントの企画会議をする時を想像してみて?
Giggleグラスを装着すれば、目の前にバーチャルステージが出現して、そこに照明パターンやセットデザインをリアルタイムで投影しながら議論できるわ。
「このマイクスタンドはもう少し左かしら?」「背景のLEDウォールはこんな映像でどう?」「観客席から見たらどう映る?」なんて、まるで未来のイベント会場にいるみたいに、具体的なイメージを共有できるのよ!
これは「思考の停止」なんかじゃないわ。「思考の拡張」、「創造性の爆発」って呼ぶべきものよ!
世古先生は「自身の『眼』で世界を捉え、思考する能力を放棄する」って言うけど、私たち国際コミュニケーション学部の人間は、「最新のテクノロジーを駆使して、より多角的で、より深い『眼』を創り出す」って考えてるわ! そして、それを世界中の人々と共有して、一緒に盛り上がっていくの!
さらに、こんなことまで言ってるわよね。
本学の研究でも、「視覚情報過多による脳の処理能力低下と集中力の散漫化」に関する興味深いデータが収集されています。本学の心理学部と共同で行った研究では、「デジタルデバイスへの過度な依存は、脳の前頭前野の活動を抑制し、結果として集中力、記憶力、そして何よりも『自律的な思考力』を著しく低下させる」という予備的な結果が示されています。
はいはい、確かにそうかもしれないわね。でも、それは「使いこなし方」の問題であって、「ツールそのもの」の罪じゃないわ。
包丁だって、料理人が使えば美味しい料理を作る道具になるけど、使い方を間違えれば凶器になる。それと同じよ!
イベントプロデューサーや配信クリエイターは、常に膨大な視覚情報や音響情報を処理してるの。それは「過多」なんかじゃなくて、「適切に取捨選択し、再構築する能力」として鍛えられているのよ。
一瞬で観客の反応を読み取り、照明や音響を調整し、次の展開を予測する。これこそが極限状態での集中力と自律的な思考力じゃないかしら?
「無心」の境地、ですって? 私は「夢中」の境地の方が、よっぽど創造的で、新しい発見があると思うわよ! みんなで一緒にイベントを作り上げている時なんて、まさに「無心」を通り越して「無我夢中」! その方が、断然面白いわ!
黒木トレン先生の「個性」を「規律」という名の檻に閉じ込めるなんて、とんでもないわよ!
そして、世古先生の矛先は、とうとう身内の先生にまで向けられているわ!
そして、物理的な視力以上に、私は学内に蔓延る「精神的視野の混濁」を憂慮しております。 具体的に申し上げましょう。黒木トレン教授です。彼は自身の専門分野においては一定の評価を得ているようですが、その私生活、特に学内での振る舞いは、「規律」という言葉とは最もかけ離れた場所に位置しています。
廊下での飲食。しかも、牛乳パックを直接口にして、挙句の果てにそれを放置していく。私は先日、彼の研究室前で、その空の牛乳パックを発見いたしました。一体、何人の学生がそれを見て、感化され、同じような無作法を働くようになるか、想像するだけで寒気がいたします。廊下は、学術的な往来を司る「道」です。そこにゴミを放置するなど、武道における「道場を穢す行為」に他なりません。次、同様の行為を見つけた際は、その牛乳パックだけでなく、彼の研究資料も両断する覚悟でおります。
あらあらあら! ここで「黒木トレン先生」の名前が出るとはねぇ! 世古先生、相変わらずロックオンが早いこと!
黒木先生のこと、そんな風に「規律の欠如」だなんて決めつけちゃって、本当にもったいないわね!
確かに、廊下での牛乳パック放置は、ま、ねぇ、ちょっとだけ目をつぶりたい部分はあるかもしれないけど……でも、そこが黒木先生の「個性」であり、「自由な発想の源」になっている可能性だってあるじゃない!
「廊下での飲食」だって、もしかしたら急にアイデアが閃いて、喉を潤しながらメモを取っていたのかもしれないわ!
研究室に閉じこもるばかりじゃ、新しい風は入ってこないものよ。廊下という「道」で息抜きをしながら、違う分野の人とすれ違って、思わぬインスピレーションを得る。これも立派な国際コミュニケーションの一環じゃないかしら?
それに、私たちの大学は「総合芸術大学」よ!
芸術や学術研究において、「型にはまらない発想」って、ものすごく重要なの!
「だらしない服装」だって、それが黒木先生の「戦闘服」なのかもしれないじゃない? 最高のパフォーマンスを発揮するための、ルーティンなのかもしれないわ!
世古先生は、人が「規律」に従うことでしか、集中力や思考力が養われないと思ってるみたいだけど、私たちは「面白いこと」に没頭することで、むしろ爆発的な集中力と超絶な思考力を発揮できるのよ!
黒石先生、そんな暗い顔してないで、この猫耳つけなさいよ。絶対似合うわよ?(…と、ここでちょっと黒石先生をいじる小ネタを挟んでみる)
「clean_up_crew」? いいえ、「盛り上げクルー」が世界を変えるのよ!
世古先生の「規律」への執着は、清掃活動にまで及んでいるわね。
我々「clean_up_crew」は、こうした無秩序と戦い続けております。先日も、学生ラウンジのソファに放置された菓子パンの袋、床に散乱したプリント類、そして誰も片付けようとしない共有スペースの備品。これらは、単なる「汚れ」ではありません。「規律の欠如」という、より根深い問題の象徴です。
長田教授の部屋の乱れも甚だしいものがありますが、あれは彼の「内省的な思考の過程」が物理的に具現化したものであり、他者に直接的な迷惑をかけるものではありません。しかし、黒木先生のそれは、周囲にまで無秩序を撒き散らす、ある種の公害と断じます。彼の周辺は常に、規律という名の「風紀」が乱れております。
世古先生、長田先生の部屋の乱れは擁護して、黒木先生は「公害」扱いなんて、なんだか贔屓が過ぎるんじゃないかしら?
どっちも「散らかり」には変わりないわよ! そこにどういう「意味付け」をするかで、見える景色が変わるってことじゃない!
私たち国際コミュニケーション学部やイベントクリエイターからすれば、学生ラウンジの散らかりだって、「白熱した議論の痕跡」かもしれないし、「イベント企画のアイデア出しで盛り上がりすぎた証拠」かもしれないわ!
「菓子パンの袋」だって、夜を徹して作業していた学生たちの「燃料」だったのかもしれないじゃない!
「規律の欠如」の象徴?
いいえ、それは「情熱の残滓」であり、「創造の胎動」なのよ!
私たち「盛り上げクルー」は、散らかった空間から、いかに「面白いこと」を見つけ出し、いかに「みんなが笑顔になるイベント」を企画するか、そこに命を燃やしてるの!
世古先生の「clean_up_crew」もいいけど、私たち「盛り上げクルー」がいないと、この大学は本当に退屈な場所になっちゃうわよ!
「瞑想」で内なる声? 外なる「歓声」に耳を傾けなさいよ!
世古先生は、こんなこともおっしゃってるわね。
瞑想ねぇ……。確かに、精神統一は大事よ。でも、世古先生の言う「精神統一」って、なんだかすごく孤独でストイックな感じがするわね。
私が思うに、「心の目」を養う方法は、もっとたくさんあるわ! そして、もっと楽しくて、人との繋がりを感じられる方法でね!
例えば、イベントのステージで、大勢の観客を前にマイクを握る瞬間!
あの時の「集中力」と「精神統一」は、世古先生が言う瞑想以上よ!
何千人もの期待の視線を感じながら、一瞬で状況を判断し、言葉を選び、会場全体を巻き込む。それはまさに「外なる刺激を全身で受け止め、それを力に変える」プロセスなの!
「座禅クッション」や「瞑想アロマ」もいいけど、私は「キラキラのサイリウム」や「最高のライブ用マイク」、そして「ド派手なコスプレ衣装」の方が、よっぽど精神を集中させて、視野を広げてくれると思うわ!
「外部からの情報を遮断し、内なる声に耳を傾ける時間」も大切だけど、「外部からの刺激を積極的に受け入れ、それを自分の表現へと昇華させる」ことこそが、国際叡愛総合芸術大学の学生たちが目指すべき姿なんじゃないかしら!
私たち教員は、そのための最高の「外部刺激」と「表現の場」を提供しなくちゃね!
「羅臼岳」は「規律」だけじゃない! 「冒険」と「感動」のイベント会場よ!
さて、ようやく本題の「羅臼岳」についてね。
さて、ようやく本題に入ります。「羅臼岳」。知床半島の最高峰であり、その雄大さと厳しさで知られる山です。私は以前、その周辺地域を訪れ、その峻厳な自然に深く感銘を受けました。羅臼岳の存在そのものが、「規律」と「自己統制」の重要性を我々に教えていると確信しております。
羅臼岳への登山は、容易なものではありません。険しい道のり、変化の激しい気候、そして野生動物との遭遇の可能性。これらはすべて、登山者に徹底した準備と、一歩一歩の確実な行動を要求します。これは、古武道の稽古における「基本動作」に通じるものがあります。構え、呼吸、体捌き。これらの一つ一つが、無駄なく、寸分の狂いもなく行われることで、初めて真の力が発揮されるのです。羅臼岳の頂を目指す一歩は、まさに武道の基本姿勢における重心移動と全く同じです。不安定な足場、風雨、疲労。それら全てを… (以下略)
羅臼岳ねぇ! 確かに雄大で素晴らしい山よ!
でも、世古先生の語り口を聞いていると、なんだか「修行」とか「苦行」みたいなイメージしか湧いてこないわ!
もちろん、自然の厳しさを理解し、安全に配慮した「徹底した準備と、一歩一歩の確実な行動」は、元天気予報士の私から見ても、絶対に必要だと思うわ。
でも、それだけじゃ「もったいない」じゃない!
羅臼岳登山を、もっと「ワクワクする冒険」として、もっと「記憶に残る感動イベント」として捉える視点が必要なのよ!
険しい道のりだって、ただ苦しいだけじゃないわ。
登り切った時の達成感、頂上から見下ろす絶景、そこで出会う野生動物との一期一会。
それらを最高のドキュメンタリー映像として残すためのアクションカメラやドローンだって、今やイベント用品の一部よ!
「不安定な足場、風雨、疲労」? そういうネガティブな要素すらも、「イベントを盛り上げるドラマの一部」として演出できるのが、私たちの専門分野なの!
世古先生は「規律」を重視するけど、私は「いかに盛り上げるか」を最優先するわ!
だって、みんなが心から楽しんで、感動して、笑顔になれることこそが、真の「心の豊かさ」を育むと信じているから!
羅臼岳は、武道の道場なんかじゃないわ。雄大な「自然のイベント会場」であり、「最高の非日常体験を提供する舞台」なのよ!
世古先生、視野が狭いのは、もしかしてあなたのほうじゃないかしら? イベント開始!
ふぅ、言いたいこと言ったら、なんだかスッキリしたわ!
世古フィリア先生のブログ記事、確かに「規律」や「精神修養」を語る内容は、体育学部の先生らしい立派なものだったかもしれないわね。
でもね、世古先生が「視野の乱れ」や「無秩序」と断じるものは、私たち国際コミュニケーション学部から見れば、「多様な価値観」「自由な発想」「新しい可能性の萌芽」なのよ!
最新テクノロジーを否定したり、個性を「公害」扱いしたり、イベントを「規律」一辺倒で語ったりする姿勢こそが、本当の意味での「視野の狭さ」なんじゃないかしら?
国際叡愛総合芸術大学には、世古先生のような「規律を重んじる視点」も必要かもしれないわ。
でも、それだけじゃ、この大学は全然面白くならない!
私たちは、もっと自由で、楽しくて、ワクワクするようなエンターテイメントを通じて、学生たちの「心の目」を、もっともっと大きく開かせたいと思ってるわ!
世古先生、たまには「規律」をちょっと緩めて、私たちのイベントに遊びに来てみてはどうかしら?
きっと、あなたの「視野」が、キラキラと輝く新しい世界で満たされるはずよ!
最高のイベントは、準備の段階からすでに始まっているの!
さぁ、みんな! 次のイベントに向けて、テンション上げていくわよ!
イベント開始!
国際コミュニケーション学部 教授 亜洲 美玲でした!
またね!バイバイ!

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