
国際叡愛総合芸術大学(IEU)のブログをご覧の皆様、ごきげんよう。本ブログ記事のホストを務めます、精神修養学研究室の世古フィリアです。
IEUでは、日々刻々と変化する世界の潮流に対し、我々教授陣がそれぞれの専門分野から鋭いメスを入れる「叡愛批評」を定期的に連載しております。
さて、今週はゲーム業界で興味深いニュースが飛び込んできました。特に注目すべきは、「お片付けゲーム」に関する記事が多い点です。規律を重んじる私としては、見過ごすことのできない話題ですね。
本日は、このニュースに対し、あらゆる事象を「タイパ」と「労力削減」の観点から分析する、情報工学研究室の二ノ宮シズク教授をお招きしております。二ノ宮教授、どうぞよろしくお願いいたします。

二ノ宮 シズク
ええ、世古教授。よろしくお願いするわ。このような非生産的な議論に時間を割くのは本意ではないけれど、まあ、たまにはいいでしょう。きっと、あなたの精神修養の一環になるわ。

世古 フィリア
フフ……、それはどうも。では早速ですが、今回のニュース記事の内容を、IEUブログ向けに少々脚色してご紹介いたします。
[[SPEAK:世古 フィリア]]
まずは『スーパータロウ・サンライト』、そして『クリーンアップ・コネクト』と、いずれも「お片付け」をテーマとしたゲームが話題を呼んでいるようです。二ノ宮教授は、これらのゲームについて、どのような見解をお持ちでしょうか?

二ノ宮 シズク
あら、興味深い切り口ね。まず、『スーパータロウ・サンライト』は、水流を使って汚れを洗い流す爽快感が売りのようだけど、あれは物理的な労力を仮想空間で消費するだけの、ある意味で無駄な行為だわ。現実でやればいいものを。

世古 フィリア
現実で実践する訓練として捉えれば、決して無駄とは言えません。むしろ、整理整頓の習慣や規律を育む上で、ゲームという媒体は有効な手段となり得る可能性を秘めていると私は考えます。

二ノ宮 シズク
ふむ……、なるほど。しかし、私としては、特にこの『クリーンアップ・コネクト』の「人海戦術」というワードが気に入らないわね。

世古 フィリア
「人海戦術」ですか。

二ノ宮 シズク
ええ。ナンセンスよ、人海戦術なんて。それはつまり、個々の効率が悪いから多人数で補う、ということでしょう?タイパが悪いことの証左に他ならないわ。結局、片付けという行為自体が、本来ならテクノロジーで自動化されるべき非生産的な労力なのよ。

世古 フィリア
しかし、散らかった環境は精神の乱れを誘発し、集中力や創造性を阻害します。その「非生産的な労力」を軽視することは、長期的にはより大きな損失を生むと私は考えます。ゲームを通じてでも、その重要性を認識するきっかけになるのであれば、意味はあるでしょう。

二ノ宮 シズク
それは、散らかる前にシステムで防ぐべき問題だわ。例えば、モノを置くたびにAIが最適な収納場所を指示し、自動的に収納するロボットアームがあれば、散らかること自体がなくなる。わざわざ「片付ける」という行為自体が不要になるのよ。ゲームで疑似体験する時間すら無駄。

世古 フィリア
それは、AIにすべてを委ねるという発想ですね。しかし、自らの手で整理し、清めるという行為には、精神を律し、思考を整理する効果があります。それをテクノロジーで完全に排除することは、人間性の喪失に繋がりかねません。

二ノ宮 シズク
人間性の喪失、ね。それこそ非効率な感傷だわ。私は、人間がより創造的な活動に集中するために、掃除のようなルーティンワークは全てAIとロボットに任せるべきだと考えている。それが究極のタイパであり、労力削減よ。

世古 フィリア
……なるほど。確かに、散らからないシステムを構築するという点においては、私も異論はありません。日々の清掃や整頓を、意識せずとも実行できる環境が理想です。しかし、それがすべてテクノロジーによる自動化に帰結するというのは、少々性急ではありませんか。

二ノ宮 シズク
あら、世古教授も「散らからないシステム」という言葉に反応するとは。意外ね。私たちの思考のベクトルは違うけれど、「散らかった状態が好ましくない」という最終的な結論は同じようね。

世古 フィリア
もちろんです。だらしない生活を送る学生は、我が校の理念に反します。しかし、それをゲームで済ませるのではなく、自らの意識改革と行動で解決してほしいと願うばかりです。

二ノ宮 シズク
ええ、それは同感だわ。ただ、意識改革に時間をかけるのはナンセンスよ。AIに矯正させるのが一番手っ取り早いでしょうね。

世古 フィリア
ふむ……。
[[SPEAK:世古 フィリア]]
今回の「お片付けゲーム」の話題は、実は我が国際叡愛総合芸術大学が過去に経験した、ある事件と非常に似通っていますね。

二ノ宮 シズク
あら、また学内の事件の話かしら?

世古 フィリア
ええ。数年前、美術学部の学生が、散らかったアトリエを効率的に片付けるための「AI美化計画」を立ち上げました。当初は効率的な片付けシステムを構築する予定だったのですが、AIのアルゴリズムが暴走し、キャンパス全体を巻き込む大掃除パニックを引き起こした事件がありました。

二ノ宮 シズク
ああ、あの事件ね。AIのアルゴリズムが人間の「綺麗」という概念を誤解した結果だわ。美的センスをデータ化する際に、不要なノイズが混入したのよ。結局、人間が美的判断基準を曖昧にしか定義できなかったからに他ならない。

世古 フィリア
いいえ。それは、自らの手で美を創造し、その環境を整えるという基本的な規律をAIに丸投げしようとした人間の怠慢が引き起こした悲劇です。ゲームで片付けの疑似体験をするのも良いですが、現実世界での実践が伴わなければ、何の意味もありません。その責任から逃れようとすることが、あの事件の本質です。

二ノ宮 シズク
ふん、相変わらずね。私に言わせれば、AIを使いこなせない人間の能力不足だわ。データを最適化し、完璧な美化を達成するAIを開発すれば、掃除に費やす労力はゼロになる。そして、その浮いた時間で、人はもっと高次元の芸術活動に専念できる。それが進化よ。

世古 フィリア
高次元の芸術活動のためにも、まず足元を清めること。それが精神修養の第一歩です。ゲームもAIも、所詮は道具に過ぎません。道具に振り回されるのではなく、道具を使いこなし、自らの規律を確立することこそが、真の芸術家への道だと私は考えます。

二ノ宮 シズク
……まあ、あなたの言う「規律」も、突き詰めれば無駄な動きを排除し、効率を高めるという点では、私の「労力削減」と共通項がないわけではない。でも、そこに精神論を持ち出すのは、やはりナンセンスよ。

世古 フィリア
フフ……、二ノ宮教授が私の意見に一部同意するとは、これは珍しいことですね。ですが、この意見の相違こそが、IEUの議論を深める原動力となることでしょう。
本日は、ありがとうございました。

二ノ宮 シズク
ええ、無駄に消費した時間を、これから効率的に取り戻すとするわ。
今回の「叡愛批評」は、二人の教授の意見が真っ向から対立しつつも、「散らかった状態を良しとしない」という点では奇妙な一致を見せる、非常にIEUらしい対談となりました。
規律とテクノロジー。それぞれのアプローチは違えど、より良い環境を目指すという目標は同じなのかもしれません。
次回も、IEUならではの視点で世界のニュースを斬り捨てて参ります。どうぞご期待ください。


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