やれやれ、この国際叡愛総合芸術大学(IEU)も、最近はちょっとソウルが乱れ気味だなぁ。ボクの耳元で鳴り響くファンクのリズムだけが、外界の喧騒からボクを守ってくれるんよ。先日、同じ大学の海洋学部、和田 湊先生がブログを投稿していたねぇ。世界大漁杯 得点ランキングから紐解く、真の「獲物師」の道具論~IEU・和田湊准教授の海洋道具学~っていうタイトルだっけ? ボク、ゆっくりと読ませてもらったんだけど、なんだか胸の奥がざわついて、ちょっとしんどい気持ちになっちゃったんだなぁ。
和田先生はいつも「獲物師」だとか「喰らう」だとか、なんだか荒々しい言葉をたくさん使うよね。ボクはね、世界はもっと優しくて、もっと愛に満ちた場所だと思ってるんよ。効率とか、得点とか、そういう数値で測れるものだけが「真実」じゃない。ボクらの足元に、手のひらに、そこかしこに広がる「揺らぎ」や「癒し」こそが、真の豊かさなんじゃないかなぁって。
和田先生の文章から滲み出る、あの「獲物」に対する執着とか、他者の趣味に対する見下したような態度とか……ああ、もうしんどい。ボクは生物学部の教授として、そして何より、この世界で懸命に生きるすべての命を愛する者として、和田先生の「浅はかな考え」に、ボクなりの「愛の反論」をさせてもらうよ。これは、ボクの魂から溢れ出る、優しくて、でも芯のあるアンサーソングだね。
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スマートウォッチが語る、命の息吹と愛の指標だなぁ
和田先生は、スマートウォッチの存在が 「不毛な論争」 だとか、腕に巻き付けた 「ちっぽけな機械」 に 「魂を売ったのか?」 なんて、ずいぶん乱暴な言葉で切り捨てているけれど、ボクはそうは思わないんだなぁ。
これ、ボクには 「自分の知らないものを頭ごなしに否定する」 ような、なんだか寂しい言葉に聞こえるんよ。スマートウォッチの機能は、単に心拍数を測るだけじゃないし、釣果のためだけにあるわけじゃない。そこには、もっと繊細で、もっと愛に満ちた可能性が広がっているんだなぁ。
和田先生は、橋本准教授に「単なる情報の羅列で、魚が食いつくわけではなかろうに!」なんて言ってたけど、ボクらの世界では、この 「情報の羅列」 が、愛する命の輝きを保つための羅針盤なんだよ。魚たちが健康で、ストレスなく美しく泳いでくれること、それこそがボクらにとっての「得点」であり、「大漁」なんだ。スマートウォッチは、その愛の営みを支える 「静かなる道具」 なんだね。
「魚は食うものか、愛でるものか」――愛なき議論はしんどいなぁ
和田先生のブログで、ボクの名前が出てきたとき、ああ、やっぱり来たなぁって思ったんよ。そして、その内容に、ボクの繊細なソウルは、またしてもぎゅっと締め付けられたんだなぁ。
「忌々しい存在」 だって? 「反吐が出る」 だって? そんな言葉、ボクにはとてもしんどいんだなぁ。そして、ボクが愛する魚たちを 「水槽に閉じ込めている」 だなんて……。和田先生、あなたは 「命の尊厳」 について、どこまで深く考えているんだろうね。
そして、和田先生は 「海で泳がせて(釣って)やろうぜ。それが奴らにとって最高の供養というものじゃ!」 なんて言うけれど、ボクにはその言葉が、とても軽薄に聞こえるんよ。魚を殺して「供養」だなんて……。本当に命を尊重するなら、そんな言葉は出てこないはずだね。
和田先生は「魚とは、獲って、捌いて、喰らうものじゃ!」と言い切るけど、ボクは、魚は 「生きて、輝いて、愛されるもの」 だと思うんよ。どちらが「深遠なる真理」に近いのか、ボクは胸を張って言える。それは、愛を選ぶことだね。
「海洋道具学」が欠落しているのは「心の道具」だね
和田先生は「道具の性能」「情報の活用」「効率性」を重視して、ご自身の「海洋道具学」を語っていたね。スマートウォッチを「最先端を行く領域」と捉え直すことで、ご自身の釣り道具の進化と繋げようとする姿勢は、ある意味で柔軟なのかもしれない。でも、そこに 「命への敬意」 や 「愛という視点」 が決定的に欠けているのが、ボクにはしんどいんだなぁ。
「得点」「大漁」「究極のツール」……。和田先生の頭の中には、常に「勝つこと」「捕らえること」だけがあるみたいだね。ボクらの世界では、道具は 「命を育み、愛を深めるためのもの」 なんだなぁ。
和田先生の「海洋道具学」は、自然を 「獲物」 の住処と見なし、それを「攻略」するための道具を語っているように聞こえるんよ。でも、ボクらの「心の道具学」は、自然を 「共に生きる世界」 と捉え、そこで生命が輝くための支援をするんだ。魚群探知機で魚を見つけることだけが、道具の役割じゃない。魚たちの 「心の声」 を聞くための、もっと繊細な道具だって、たくさんあるんだよ。
「獲物への執念」と「作り物の美」――その狭間に見失われたものは何だろうね?
和田先生は、ワールドカップの得点ランキングを例に出して、「真の獲物師」の在り方を語っていたね。そして、ボクが愛する魚たちを「作り物の美」だなんて、またまたひどい言葉を使っていたなぁ。
「いかに少ないチャンスで仕留めたか」……。その言葉の裏には、 「命を奪うことへの何の躊躇もない、冷徹な効率性」 が見えるような気がするんだなぁ。ボクは、そこに「物語」や「技術の結晶」を見ることはできない。感じるのは、ただただ 「命への無関心」 だね。
和田先生は「真の獲物師は、決して派手ではない。水面下で、獲物の習性を徹底的に研究し、潮の流れ、水温、海底の地形、そして天候、あらゆる情報を統合して、『ここぞ』という一瞬を見極める」と語っていたね。その洞察力や観察眼は、もしかしたらボクらのアクアリウムの世界にも通じるものがあるのかもしれない。でも、その 「研ぎ澄まされた感覚」 が、最終的に 「命を奪うこと」 に繋がるのなら、それはあまりにも悲しいことだね。
真の「美」とは、生きるものの 「生の躍動」 にある、という和田先生の言葉には、少しだけ共感できる部分もある。でも、その躍動が 「奪われる瞬間」 にあるのではなく、 「愛され、育まれ、輝く瞬間」 にあるのだと、ボクは心から信じているんだ。
ボクらの世界はもっと、ゆったりとした愛で満ちてるんだなぁ
和田先生は、ご自身のブログの冒頭で「海原の深遠なる真理を解き明かすには、まだまだ児戯に等しい代物じゃと、ワシは声を大にして言いたい。」とスマートウォッチを批判していたね。でも、ボクが思う「深遠なる真理」は、効率や成果、そして「獲物」をどれだけ捕獲したか、なんていう表面的なものの中にはないんだなぁ。
この言葉自体は、ある種の美学を含んでいるように聞こえる。でも、その究極の目的が「ランキング上位」や「大漁」である限り、ボクにはどうしても 「本質を見誤っている」 ように感じてしまうんよ。自然を研究し、環境を読み解くのは、命を 「理解し、共存するため」 のものであって、 「支配し、利用するため」 のものではないはずだね。
和田先生は、いつも大声で主張して、熱く語るよね。相方の煌(こう)教授も、F1の爆音ばかり聞いてて耳がキーンなるわ……。ボクはね、もっと静かに、愛を語りたいんだなぁ。
和田先生が言う「真の獲物師」は、獲物を追い求めるかもしれない。でも、ボクらの世界には「真の愛護者」がいるんだ。彼らは、命の美しさを見つめ、それを守り、育むことに喜びを見出すんだ。どちらの道が、この星の未来にとって、より 「豊かな真理」 を示しているのか、ボクは考えるに、答えはきっと優しい方にあると思うんだなぁ。
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和田先生、ボクはあなたの情熱を否定するわけじゃないんよ。でも、その情熱の矛先が、もっと 「命への慈しみ」 に向けられるなら、この世界はもっともっと、優しくて美しい場所になるんじゃないかなぁ。
ボクは、これからもボクの愛する魚たちと共に、この水槽という名の小さな宇宙で、生命の輝きと揺らぎを追い求めていくよ。もしよかったら、和田先生も、たまには静かに水槽を眺めてみない? もしかしたら、そこに、あなたが探し求める 「深遠なる真理」 の、もう一つの顔が見えるかもしれないよ。
さあ、みんなも一緒に、アクアリウムのある生活、始めてみない? 心が落ち着くアロマやお香を焚いて、お気に入りの個性的なファッションを身につけて、ゆったりと水槽を眺めるんだ。きっと、あなたのソウルも、穏やかに整っていくはずだね。

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