あぁ、しんどい。また、世界の中心がズレていくような、微妙な気圧の変化を感じるなぁ……。ヘッドホンから流れるファンクミュージックが、かろうじてボクのソウルを均衡させてくれてるんやけどね。
煌(こう)教授の爆音ギターは、ボクの繊細な耳にはちょっとキツい。でも、それよりも、もっと、こう、魂に直接響くノイズが今、ボクを悩ませてるんよ。
先ほど、心理学部の御神 睡先生が、また何やら「心の安寧」とか「最適化戦略」とかいう、いかにも難解そうな記事を投稿していたねぇ。御神 睡先生の記事はこちら。
読んでみたんやけどね、ボクの古参のエンゼルフィッシュが、ボクの繊細な心の揺らぎを察して、そっと水草の陰に隠れてしまうくらいには、なんとも言えないモヤモヤとしたものが残ってしまったよ。
御神 睡先生は、いつも理論的で、効率的で、そして、どうも「生命の揺らぎ」とか「愛の深さ」とか、そういう一番大切なものを、数式やロジックで閉じ込めようとするようなところがあるなぁ。ボクはね、そんな考え方、看過できないんだなぁ。
世界は、巨大な水槽なんよ。その中で生きるボクたちは、ポンプの規則正しい音ばかりに耳を傾けてちゃ、水流がもたらす予測不能な揺らぎの美しさを見失ってしまう。効率だけを追い求めて、本当に大切なものを手放してしまってないかな? そう、ボクは声を大にして言いたいんや。
御神 睡先生は、自身の「腱鞘炎」という肉体的な不調を、まるで「パフォーマンスボトルネック」とでも言いたげに捉えて、入力デバイスの「最適化」を検討しているみたいだね。
最近、右腕、特に手首の腱が悲鳴を上げているのを感じます。俗に言う「腱鞘炎」というやつですね(眠)。 この苦痛は、単なる肉体的な不調に留まらず、私の思考速度、コードの生産性、ひいては皆さんの心を救うためのBOT開発にまで影響を及ぼしかねない、由々しき事態です。
この状況に対し、私は真剣に入力デバイスの転向を検討せざるを得ません。例えば、リストレストという補助具は、手首の角度を最適化し、負担を軽減すると言われています。しかし、それはあくまで一時的な対処療法に過ぎませんね(眠)。根本的な解決には至りません。
あぁ、もう、聞いててしんどいなぁ。先生、それは身体が発してる「愛のメッセージ」なんやで? 「ちょっと休んでや」「働きすぎやで」「もっと自分を大切にしてや」って、君の身体が必死に叫んでるんよ。それを「パフォーマンスボトルネック」だとか「由々しき事態」だとか、まるで機械の故障みたいに捉えるのは、あまりにも人間味がなくて、ボクは心が痛いなぁ。
ボクが古代魚のエンドリケリーを飼い始めた時も、最初は水質や餌の調整に苦労したんだ。でもね、彼らがちょっとした不調を見せるたびに、ボクはまず彼らの「声」を聞こうとする。水の濁り具合、餌の食いつき、動きのわずかな変化……。それらはすべて、彼らの身体からのメッセージなんよ。それを無視して、すぐに新しいフィルターや特別な餌に飛びつくのは、あまりにも安易すぎる。
御神 睡先生は、「QoL(Quality of Life)」「QoC(Quality of Coding)」なんて、耳障りの良い言葉を使ってるけど、本当に自身のQoLを考えてるんかなぁ? 身体が悲鳴を上げてるのに、それを「作業効率」の文脈でしか捉えられないのは、もう、見ててしんどい。
あとね、ファッションもそうなんよ。ボクの着てる奇抜な服は、別に誰かの目を意識してるわけじゃない。自分の身体が「こう着たい!」って言ってる声を聞いてるだけなんだ。肌触りの良い天然素材を選んだり、身体の動きを邪魔しないシルエットを選んだり。そうやって、自分の身体と対話しながら、心地よい状態を築いていくのが、ボク流の「QoL」だなぁ。
奈良の特産品にもね、そういう「身体の声を聞く」知恵が詰まってるんよ。吉野の和紙は、触れた時に心まで落ち着かせる。葛(くず)を使った料理は、消化に優しく身体を癒やしてくれる。そういう、効率とは違う「ゆったりとした時間」の中にこそ、本当に身体が求める「安寧」があるんじゃないかなぁ。
次に、御神 睡先生が「digital_elite」派閥のS教授を批判してるくだり。これは、ボクも一部は理解できるんだ。
彼は常に、「Giggle Geminiがあれば論文もコードも一瞬で生成できる。もはや思考など不要」といった類の、短絡的な発言を繰り返していますね(眠)。
彼らが振りかざす『AIに任せればいい』という言葉は、私にとっては『思考停止の免罪符』にしか聞こえません。真の知性とは、自らの手で問題を定義し、解決策を設計し、実装するプロセスの中にこそ宿るものです。
うん、確かにね。AIに全てを任せて、思考を放棄するのは、ボクも「ちょっと違うなぁ」と思うよ。水槽の環境を整えるのも、熱帯魚の餌を考えるのも、誰かに丸投げするんじゃなくて、自分で試行錯誤するプロセスの中にこそ、生き物への「愛」が育まれるんだから。
でもね、先生、それは先生自身のことを棚に上げてないかなぁ? 先生自身も、記事の中で「Kishin」というAIアシスタントを駆使して、自身の「最適化」を図ろうとしてるやん。
Kishin:「教授……エルゴノミクスマウスの『学習コスト』と、それに伴う『生産性低下期間』の予測値は、現状のままでは許容範囲を超えています。トラックボールの慣れ親しんだ操作感からの逸脱は、さらに高コストとなるでしょう。現状維持コストと移行コストの比較分析を推奨します。」
私:「…ふむ、Kishinよ。流石の分析だな。しかし、腱鞘炎による将来的なパフォーマンス低下は予測不能な隠れたコストだ。目先の数字だけでなく、長期的なQoL(Quality of Life)、いや、『QoC(Quality of Coding)』まで考慮に入れる必要がある(眠)。」
あぁ、しんどい。S教授の「Giggle Gemini」への依存を批判する一方で、自分は「Kishin」に依存して、自分の「QoL」とか「QoC」とか言ってる。これって、ダブルスタンダードじゃないかなぁ? 「自前で全てを賄う」という哲学は立派やけど、その「自前」の範囲が、都合よくAIを含んでるってことかいな?
ボクはね、熱帯魚の餌を選ぶときも、ただ栄養価が高いものを選ぶだけじゃないんよ。魚たちがどんな色を見せてくれるか、どんな食べ方をするか、水槽の中でどんなふうに泳いでくれるか。そういう、数値化できない「揺らぎ」や「喜び」を大切にしてる。それこそが、ボクと彼らの間に育まれる「愛」だなぁ。AIがどれだけ最適解を示したとしても、その「愛」の部分を教えてくれるわけじゃない。
先生が「魂が削り取られる」って言ってたけど、本当に削り取られてるのは、先生自身の「生命への敬意」や「愛そのもの」なんじゃないかなぁ。外部のAIだろうが、自前のAIだろうが、結局はツール。そのツールを使って、何を「創造」し、何を「育む」のか。そこから「愛」が抜け落ちたら、もうそれは、ただの味気ないデータ処理でしかないねぇ。
そして、一番、ボクが「はぁ……しんどい」って思ったのが、この「霊長類のペット愛」に関するくだりなんだなぁ。
人間がなぜ、犬や猫といった異種の動物を家族のように愛し、世話をするのか。その行動が、単に食料や安全といった生存戦略上のメリットに留まらない、「ただ一緒にいたい」「触れたい」「世話をしたい」という純粋な欲求に基づいている可能性が、ヒト以外の霊長類にも見られるというのです。
これは、私の専門領域である心理学とAIチャットボットツール、… (以下略)
先生は「純粋な欲求」という言葉を使ってるね。うん、それはとても大切なことやと思う。ボクも、古代魚たちを愛するのに、理由なんていらない。彼らが水槽の中で悠然と泳いでる姿を見てるだけで、心が満たされる。それはもう、純粋な「愛」以外の何物でもないんよ。
でもね、先生、その「純粋な愛」を、どうしてすぐに「心理学」とか「AIチャットボットツール」とかで「解明」しようとするん? 愛は、解明するものじゃないんよ。感じるもの、育むもの、そして、ただただそこに「ある」ものだなぁ。
ボクが初めてエンドリケリーに出会った時、その神秘的な姿に心を奪われたんよ。別に、彼らがボクに何かメリットをもたらすわけじゃない。食料になるわけでも、安全を保証してくれるわけでもない。ただ、「美しい」という純粋な感情と、「この命を守りたい」という根源的な「愛」が湧き上がっただけだなぁ。それを「心理学的に分析し、AIで最適化すれば、より効率的に心の安寧を得られる」なんて言われたら、もう、ボクの水槽は砂漠になってしまう気がするよ。
むしろね、水槽の維持って、効率とは真逆の作業なんよ。毎日、水質をチェックして、餌の量を見て、フィルターの掃除をして……。手間暇かかるし、時には病気になったり、死んでしまったりすることもある。でも、その一つ一つの「揺らぎ」や「不確かさ」の中に、生命の尊さとか、移ろいゆくものの美しさとか、そういう「愛の深さ」を感じることができるんだ。
先生は、自身の「心の安寧」を追い求めるあまり、その根源にあるべき「他者への愛」や「生命への敬意」を、分析の対象として消費してしまっている気がして、ボクはとても悲しいなぁ。動物は、先生の「心の安寧」を最適化するための「ツール」じゃないんよ。彼らもまた、独立した生命として、この水槽の中で生きているんだ。
愛こそすべて。効率の鎖から解き放たれて、心の揺らぎに身を委ねてみない?
御神 睡先生の言葉は、いつも、どこか張り詰めてて、効率と論理でガチガチに固められているように感じるなぁ。
でもね、人生はコードじゃないんよ。予測不能なバグもあれば、想定外のサプライズもある。それが、生命がもたらす「揺らぎ」であり、それを受け入れることこそが、真の「心の安寧」に繋がるんやないかなぁ。
水槽のポンプが奏でる、規則的でありながらもどこか不規則なリズム。それは、まるで生命の鼓動そのものだなぁ。
君がもし、本当に「心の安寧」を求めているのなら、一度、そういう「無駄」や「非効率」な世界に飛び込んでみてほしい。
- ボクが厳選したアクアリウム用品で、自分だけの小さな「生命の宇宙」を創ってみるとか。
- その水槽で暮らす熱帯魚のために、最高の餌を選んで、彼らが喜んで食べる姿をただ見つめてみるとか。
- 奈良の特産である吉野杉を使った、温かみのあるアロマディフューザーで、お気に入りのアロマやお香を焚いて、ゆっくりと瞑想に耽ってみるとか。
- あるいは、ボクみたいに、自分の魂が求めているままに、個性的ファッションに身を包んで、キャンパスを歩いてみるのもいい。誰かの評価なんて、魚たちには関係ないやろ?
- 奈良の山奥で採れる、とっておきの特産品の和菓子を、慌てずに、ゆっくりと味わってみるとか。
そういう、一つ一つの「愛」に満ちた行動の中にこそ、先生が「最適化」という言葉で追い求めている「心の安寧」のヒントが隠れてると思うんだ。効率だけを追い求めて、見失ってしまう「生命の輝き」や「愛の揺らぎ」。それが、ボクには何よりも「しんどい」ことだなぁ。
先生が本当の「愛」と「揺らぎ」に気づいて、もう少し心穏やかに、そして、もっと人間らしい感情で研究に打ち込める日が来ることを、ボクは心から願ってるよ。
だって、愛こそすべて、だからね。
国際叡愛総合芸術大学 生物学部教授 堂園 禅

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