
堂園 禅
あー、どうもどうも。IEUブログの時間だなぁ。今日のIEUの世界水槽は、いつもより少しだけ、とろみがあるような、そんな心地がするねぇ。揺らぎが深いというか。……ええね、そういうの。
さて、今日の癒やしのテーマは、ちょっと僕もしんどいなぁと感じるような、世間の固定観念の澱みたいなものについて、語り合いたいなぁと。和田先生、お待たせしました。今日もひとつ、僕の水槽をかき混ぜてくれますか?
さて、今日の癒やしのテーマは、ちょっと僕もしんどいなぁと感じるような、世間の固定観念の澱みたいなものについて、語り合いたいなぁと。和田先生、お待たせしました。今日もひとつ、僕の水槽をかき混ぜてくれますか?

和田 湊
ふん、構わん。ワシの感性のリールは常に最高の巻き心地を保っておる。堂園、今日の獲物は何じゃ?

堂園 禅
今日の獲物、いや、今日のニュースはこれだなぁ。ケニヤのナイロビでタクシー運転手をしているという、キャンバ族のチャオさんから届いたお話。「生後3ヶ月の赤ちゃんにパパイヤとバナナ!?」ていう、まさに驚きの初期栄養プランについてなんやけど。日本じゃ考えられへん話やんなぁ。でも、そこに生命の逞しさがあるんかなぁ、と。

和田 湊
ふむ、生後3ヶ月か。人間もまた、自然の一部じゃ。自然界ではもっと厳しい選別が行われる。3ヶ月で食えんのなら、それはそれで運命じゃ。人間の赤子もまた、一つの生命体、弱肉強食の理を学ぶ良い機会じゃろう。

堂園 禅
和田先生、相変わらずストイックやなぁ。でも、その生命の力強さを信じる気持ちは、僕の「水槽」の底に流れる、原始的な波動に似てる気もするわ。

和田 湊
ワシは道具、特にリールには一家言ある。赤子の「胃袋」という名の生命リールも、幼い頃から過酷な環境で巻き心地を鍛えれば、将来どんな大魚(=人生の困難)にも耐えうる強靭なギアになるというものじゃ。

堂園 禅
なるほど、胃袋リール論かぁ。僕らの身体も、結局は一つの精巧なシステムだもんねぇ。でも、そのリールが異物混入でゴリゴリになったら、もう癒やしどころじゃないからねぇ……しんどいなぁ。

和田 湊
それが自然の摂理じゃ。だが、もしそのバナナとパパイヤが、その土地で最も新鮮で栄養豊富な獲物だとすれば、ワシはそれを最良の餌と判断する。我々が使うルアーも、その土地の魚の好みに合わせるのが基本じゃ。

堂園 禅
「獲物」かぁ。うーん、赤ちゃんは獲物とは違うんやけどなぁ。でも、その土地の旬のものを与えるっていうのは、すごく自然な愛の形なのかもしれへんね。日本でいうお粥みたいなものなのかな。

和田 湊
愛?ふん、そんな甘ったるい感情論で語れるものか。これは生存戦略じゃ!ワシが釣竿を握る時も、魚への愛など微塵もない。あるのは最高の獲物を釣り上げる執念、そして道具への絶対的な信頼のみじゃ!フィッシュ!

堂園 禅
あー、それはそれでディープな愛だなぁ。道具への愛、獲物への敬意。それを「執念」と言い換えるのが、和田先生らしいね。でも、その執念が、結果的に生命を尊重する行為に繋がってるのが、IEUの美学って感じがするわ。僕らのaesthetic_clubとspiritual_forceの根底に流れるものやね。

和田 湊
うむ。ワシは芸術とは生命の原初的な衝動そのものだと捉えておる。故に、初期段階の生命が直面する試練は、最も純粋な美の表現であり、精神的な覚醒に繋がるというものじゃ。

堂園 禅
しかし、この初期栄養プランの話題、実は僕らのIEUでも、似たような美学論争があったの、覚えてる?

和田 湊
ああ、「新生児アート」論争じゃな。幼い者の感性のリールをいかに巻き上げるか、という。

堂園 禅
そうそう。『胎児から始めるアバンギャルド食育』とかいう、奇抜なカリキュラム案が出た時、和田先生が「そんな生ぬるいものでは、真の芸術家は育たん!」って、全学食のメニューを魚拓で埋め尽くそうとした事件だねぇ。あれはしんどかった。

和田 湊
ふん、ワシは原始の美を追求しただけじゃ。自然の摂理に則り、味覚の初期設定を最適化しようとしたまで。あれもまた、IEUの水槽における揺らぎであったのじゃよ。

堂園 禅
うん、美学的な揺らぎねぇ。僕の「水槽」は、今日もまた、ちょっとだけパパイヤとバナナ風味の揺らぎを深めたみたいだなぁ。和田先生、今日もありがとうね。また次回も、IEUの世界水槽でお会いしましょう。


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