亀井玄先生、ブログ、拝見しましたよ。
ええ、もう、びっくりして、ミシン作業の手が止まっちゃった。
まさか先生が、あんなに堅苦しい……いや、なんていうか、ちっとも可愛くない終活論を展開されるなんて。
先生の記事はこちらですね。亀井玄教授の「終活」の宇宙論
先生は福祉学の教授だから、終活について深い知見をお持ちなのは、もちろん尊敬しています。
でもね、人生の終わり方だって、どうせなら、自分らしく、キラキラ可愛く締めくくりたいじゃない?
まるで、世界に一つだけのハンドメイド作品みたいに、愛と温かさでいっぱいに。
先生のブログには、看過できない「誤り」と、私には「浅はか」に見える考えがたくさん詰まっていたから、私も感情と専門知識をフル動員して、全力で反論記事(アンサーソング)を書かせてもらうことにしたの。
チクチク、チクチク、ミシンを縫い合わせるみたいに、先生の論理の綻びを一つずつ、丁寧に、でも鋭く、指摘させてもらうからね。
「学内騒然!延長コード問題から金星の運命まで、IEU最長老教授が語る『終活』の宇宙論じゃな」って、その「騒ぎ」の裏側にもっと可愛い「愛」があるはずかな?
亀井先生は冒頭でこう仰っていますね。
「騒がしい」?「若いねぇ」?
先生、それって、ちょっと上から目線すぎやしないかな?
「コンセントが足りない!」って声が聞こえるのは、みんなが活発に活動している証拠じゃないですか。
デジタルデバイスを使って新しい作品を生み出したり、研究を進めたり、オンラインで世界と繋がったり、そういう創造的なエネルギーが溢れているからこそ、電力が足りなくなるの。
それを単なる「騒ぎ」で片付けるのは、なんだか寂しい考えかな。
それに、タワー型電源タップとかケーブル収納ボックスが研究室に消えていくのを、先生は「惑星開拓競争」なんて揶揄していましたけど、それだって、より良い環境で、より効率的に、より可愛く、自分の研究や制作に取り組みたいという、みんなの向上心や美的センスの表れじゃない?
私も研究室の配線、可愛いケーブルタイでまとめたり、電源タップにレースのカバーをかけたりしているもの。機能性だけじゃなくて、見た目も可愛い方が、作業も捗るんだから!
先生は、そういう「可愛さ」とか「ちょっとした工夫」に目を向けられないのかな。
無骨なだけの延長コードじゃなくて、自分だけのオリジナルにデコレーションされた延長コードを使えば、気分だって上がるし、研究室だって、もっと素敵な空間になるはずだよ。
DIYが得意な機巧ゼン准教授と私で、電源タップの木製カバーを作って、そこに可愛い彫刻とレジンでデコレーションするワークショップを企画したら、きっと大人気になると思うんだけどな!
「学内を騒がす『タワー型電源タップ争奪戦』と若き教授陣の生態」に亀井先生が見ているのは、本当に「資産」だけかな?
先生は、金子教授や兼雨教授のことを「ワシの資産ばかり狙っておるから、よほどの金欠じゃろう」「ワッハッハ。ワシは『兼雨ちゃん、聞こえんのぅ。今日は良い天気じゃな!』と、これもまた聞こえないフリをして、軽く受け流しておいたのじゃ。まったく、ワシがいつまで元気で長生きするかが、そんなに気になるかのぅ? 安心しなされ、ワシはまだまだ長生きするつもりじゃし、ワシの遺産は金子教授や兼雨教授のような若造にはびた一文、渡さんぞ。全額、猫(藤田教授の研究室)に寄付するつもりじゃからな。フォッフォッフォ。」なんて書いていましたよね。
先生は、すべての人間関係を「資産」や「遺産」という、目に見える物質的な価値でしか判断できないのかな?
「電力の供給源と消費先を賢く管理することは、まさに人生の終盤における『資源管理』の縮図じゃな」なんて、人間関係をまるで「モノ」みたいに語るのは、寂しい限りだよ。
金銭的な「資産」だけが人生を豊かにするわけじゃない。
人との温かい繋がり、共有する喜び、そして「世界に一つだけ」の思い出。そういう、目には見えないけれど、心に深く刻まれるものこそが、人生を豊かにする真の「資産」なんじゃないかな。
先生の言う「資源管理」も大切かもしれないけれど、人間関係を、まるで株式のポートフォリオみたいに冷徹に扱うのは、なんだか悲しいことかな。
若手教授との間に、手作りの品を介した、もっと温かい交流があれば、先生の「耳が遠いフリ」なんてしなくても、きっと心で通じ合えるはずだよ。
みんなで一緒にレジンでストラップを作ったり、ミシンでコースターを縫ったりしたら、きっともっと可愛いコミュニケーションが生まれるのに、って私、そう思うの。
「『聞こえない』ことの戦略性:大谷教授と藤田教授の場合」に隠された、本当に大切な「心の声」
先生は、大谷教授の「高性能集音器(実はただの高級イヤホン)」を巡るやり取りや、藤田教授の研究室の猫への遺産の話を「聞こえないフリも、時には大切な情報を守るための戦略になる」「人生の締めくくりにおいて、大切な資産をどこに託すか、これは非常に重要な決断じゃ」と、まるで駆け引きや打算のように語っていましたよね。
そして、藤田教授の研究室の猫たちへの遺産の話。
「ワシが来ると『ニャー』と寄ってきて、可愛らしいものじゃ。猫は正直で良いのぅ。金子教授や兼雨教授のような打算がない。」
猫が可愛いのは、もちろん私もよくわかるよ! 私も猫カフェとか大好きだし、猫モチーフのレジンアクセサリーとかたくさん作ってるもの!
でもね、猫が正直で打算がないのは当たり前じゃないかな?
人間関係を「打算があるか、ないか」でしか測れない先生の視点が、なんだか悲しいかな。
たしかに、先生の遺産が猫たちに寄付されれば、藤田教授は喜ぶかもしれないけれど、それも結局は「モノ」や「お金」の話じゃない?
本当に価値があるのは、猫たちとの触れ合いや、その猫たちがもたらしてくれる癒やしや喜び、そして、それを共有できる人間関係そのものなんじゃないのかな。
先生は「終わり良ければ全て良し」をモットーにしているそうですが、人生の締めくくりを「遺産をどこに託すか」という一点に集約してしまうのは、あまりにも殺風景で、可愛くないかな。
私が思うに、人生の本当の豊かさは、一つ一つの「過程」にあるの。
ハンドメイドだってそう。ミシンでチクチク縫っている時間、レジン液を混ぜてキラキラのパーツを並べている時間、指先を使って色々な素材を組み合わせている時間。
その「過程」そのものが、かけがえのない喜びと愛を生み出すの。
結果として素敵な作品ができ上がるのはもちろん嬉しいけど、その過程で感じるワクワクや、ちょっとした失敗、そしてそれを乗り越えた時の達成感こそが、私たちの心を豊かにしてくれるんだよ。
「金星の悲劇から学ぶ『終活』の真理:不測の事態に備えよ」と、宇宙規模で語られる「しまい方」は、ちっとも可愛くない「終わり方」しか見えてないかな?
先生は「金星がかつての衛星を逆に引きずり寄せ、飲み込んでしまった」というニュースを、「人生のしまい方」に結びつけていましたね。
うーん、それはちょっと、無理やりな解釈じゃないかな?
宇宙の壮大なドラマを、人間の「終活」という、とっても個人的で、もっと温かい愛情に満ちたテーマに、まるで恐怖を煽るかのように結びつけるのは、なんだか違う気がするの。
「不測の事態」への備えは、もちろん大切。私も、レジン液の取り扱いには細心の注意を払うし、ミシンの針だって定期的に交換するよ。
でも、人生って、そんなに「計画通り」に全てを終わらせるものなのかな?
金星の衛星が「飲み込まれた」ことを、単なる「悲劇」や「準備不足」と捉えるのは、あまりにも視野が狭いかなって、私は思うの。
金星の衛星だって、もしかしたら、金星の内部で、新しい物質の循環や、今までになかった地質活動のエネルギー源になっているのかもしれない。それは、「終わり」ではなく、「新しい始まり」の可能性を示唆しているんだよ。
先生の言う「悲劇」は、単に先生が「思い通りにいかないこと」をネガティブに捉えているだけのように聞こえるかな。
人生の終盤に訪れる「不測の事態」も、決して「悲劇」とばかりは限らない。
それは、これまでの人生では経験できなかった、新しい出会いや、新しい自分を発見するチャンスになることだってあるはずなの。
それなのに、先生は「いかに悲劇的な結果を招くか」ばかり強調して、ちっとも可愛くないなあ、って思っちゃった。
「1. 金星が衛星を”飲み込んだ”? 老年期のトラブル回避術に見る惑星の教訓じゃな」における「軌道の変化」を、もっとキラキラな「新しい自分」を見つけるチャンスにできないかな?
先生は、金星の衛星の「軌道の変化」を、私たち人間の「人生後半の環境変化」に例え、「トラブル」や「リスク管理」ばかりに焦点を当てていましたね。
「トラブル」「リスク」「軌道を外れる」……先生の言葉からは、なんだかネガティブな響きばかりが聞こえてくるよ。
人生後半の環境変化は、確かに体力や健康、経済状況の変化を伴うかもしれない。
でも、それを「悲劇的な結果」や「トラブル」と決めつけるのは、あまりにも寂しい考え方かな。
むしろ、それは「新しい挑戦」や「新しい生き方」を見つける、キラキラしたチャンスでもあるはずなの。
例えば、定年退職して時間ができたから、って私の手芸教室に来てくれる方、たくさんいるんですよ。
最初は「不器用だから…」って遠慮がちだった方が、ミシンでまっすぐ縫えるようになったり、レジンで可愛いチャームを作れるようになったりすると、もう、目の輝きが全然違うの!
「世界に一つだけの私の作品よ!」って、みんなキラキラ笑顔になるんだから。
そして、自分が作った作品を、お孫さんにあげたり、お友達にプレゼントしたりして、そこから新しいコミュニケーションが生まれるのを見ていると、本当に感動しちゃう。
CreemaやMinneで自分の作品を販売して、お小遣いを稼ぎながら、社会と繋がっている人もいるんですよ!
これって、まさに人生後半における、「新しい自分」の発見であり、「社会との新しい関わり方」の創造じゃないかな?
先生が言う「軌道の変化」って、そういうポジティブな側面もたくさんあるんだよ。
結論:終活は「しまい方」じゃなくて「新しい生き方」を見つける、キラキラ可愛い創造の時だよ!
亀井玄先生の「終活」の宇宙論、私には、あまりにも物質的で、あまりにも「効率」や「管理」に偏りすぎているように感じられました。
金銭的な「資産」や、物理的な「資源」ばかりに目を向けて、もっと大切な「心の豊かさ」や、「愛」や「創造性」といった、目に見えないけれど、私たちを本当に満たしてくれるものを、見落としているんじゃないかなって。
* **ミシン**でチクチク縫い上げた思い出のパッチワーク。
お孫さんの小さな服をリメイクして、世界に一つだけのブランケットにするのなんて、素敵じゃない?
ミシンは、布と布を繋ぎ合わせるだけじゃなくて、思い出と思い出、人と人との心を繋ぎ合わせてくれる、魔法の道具なんだよ。
* **レジン液**で、キラキラに輝く「人生の宝物」を作るの。
海で拾った可愛い貝殻や、旅先で見つけた押し花を、透明なレジンの中に閉じ込めて、ずっと眺めていられるオブジェにしたり、アクセサリーにしたりするの。
それは、その時の感動や記憶を、永遠に封じ込めることができる、とってもロマンチックな作業だよ。
* **ハンドメイド素材**は、無限の可能性を秘めているの。
使わなくなった着物を解いて、バッグやポーチにリメイクしたり、捨てられちゃう運命だった古い家具に、可愛いペイントやデコパージュを施して、新しい命を吹き込んだり。
一つ一つの素材が持つ物語を大切にしながら、新しい価値を創造していくことが、私にとっての「豊かさ」かな。
* **CreemaやMinneでの出品**は、自分の作った「愛の結晶」を、誰か遠くの人に届ける喜び。
自分が心を込めて作った作品が、誰かの手に渡って、その人の日常をちょっとだけ豊かにするって、すごく素敵な「貢献」だと思わない?
それは、先生が言うような「遺産」とは違う、「愛の継承」の形なんだよ。
* **手芸キット**は、誰でも気軽に「作る喜び」を体験できる、魔法の箱。
「不器用だから無理」なんて思っている人にこそ、ぜひ試してみてほしいな。
自分で何かを作り出す喜びを知ったら、きっと人生がもっとキラキラ輝き出すはずだから!
亀井先生、私には、先生の「終活」が、まるで「死に備えるためのリスト」にしか見えなかったかな。
でも、人生の終盤こそ、残りの時間をどう「生きるか」を考える、一番大切な時間だと思うの。
それは、愛を込めて、自分の手で、新しい価値を創造する時間。
「世界に一つだけ」の、自分らしい、キラキラ可愛い「生きた証」を残すこと。
そして、その「愛」を、次に続く人たちに、手作りの温かさとともに伝えていくこと。
それでは、またね。
芸術学部 講師 織部つむぎでした!

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