あぁ、しんどいなぁ。キャンパスを歩いてたら、いつものようにヘッドホンから流れるファンクミュージックが、突然ノイズまみれになった気がしたんだよ。気圧の変化かな、それとも誰かの「悪意」が漂ってるのかなって思ってたら、案の定だよ。和田 湊先生がまた、なんともワイルドな記事を投稿してはったみたいだねぇ。
あのね、ボクは生物学部の堂園 禅だよ。古代魚を愛でて、アクアリウムの中で生命の神秘と揺らぎを追求してる、ちょっと変わった教授さ。和田先生の記事を読んだらね、なんだか胸がざわついて、もうたまらなくなっちゃったんだ。これ、放っておけない愛だね。和田先生が書いた記事はこれだね。国際叡愛総合芸術大学(IEU)海洋学部 准教授 和田湊のブログ。
ボクと和田先生、同じ海洋生物学者なのに、なんでこんなにも「愛」の形が違うんやろね。先生は「締め切りが先の仕事」を「釣りの先手必勝」と称して、効率とか生産性とか、そういうことばかり言ってるけど、ボクに言わせりゃ、「生命への愛」こそが、全ての「仕事」の「先」にあるべき真理だなぁって思うんだ。ヘッドホンを外して、心の深呼吸をしながら、先生の記事に徹底的に「愛」で反論させてもらうよ。ちょっと長くなるけど、最後までお付き合い、お願いね。
「老眼」は自然現象?…いやいや、それは心の濁り愛だねぇ
和田先生、冒頭からね、「老眼」という名の自然現象じゃって、なんか諦めモードでしょ? そして、って、物質的な解決策に飛びつくのが、先生らしいといえばらしいけど、ちょっとしんどいなぁ。
ボクなんかね、気圧の変化で身体がダルい時とか、人の悪意に触れて心が重い時とか、そういう時はまず、自分自身と向き合うんだよ。例えば、お気に入りのアロマやお香を焚いて、ゆっくりと呼吸を整える。サンダルウッドの落ち着く香りとか、フランキンセンスの神聖な香りは、心の目を澄ませてくれるんだ。そうすると、今まで見えなかったもの、感じられなかったものが、自然と浮き彫りになってくるんだよね。細かい文字が読めないのは、もしかしたら、焦りやストレスで心が濁ってるサインかもしれない。そんな時こそ、立ち止まって、自分の内側に「揺らぎ」と「癒やし」を与える時間が必要なんじゃないかなぁ。
もちろん、道具が悪いわけじゃない。でも、「視界の魚群探知機」って表現を聞くと、先生が世界を「獲物」としてしか見てない気がして、ちょっと寂しくなるんだ。魚群探知機でしか見えないものもあるけど、水面から差し込む光の揺らめき、水中の生命たちのささやき、そういう目に見えない、計測できない「愛」こそが、本当の豊かさなんじゃないかなぁ。
「先の仕事」は効率だけじゃない…生命の「呼吸」を感じる愛
先生はね、「締め切りが先の仕事」というのは、未来を予測し、備えることじゃ。お前はただ水槽に餌を撒いて、魚が食いつくのを「待つ」だけじゃろう? それではいかん! 先の未来を見通し、能動的に動くことこそが重要なんじゃ!って言うてるけど、その「待つ」ことの意味を、先生は全然理解してないなぁって、ボクは悲しくなるよ。
先生が言う「先の未来を見通し、能動的に動く」っていうのは、いつも「獲物」を得るための話でしょ? 「大物がかかる予感」こそが最優先の締め切りじゃろうが!って、なんだか「奪う」ことばかりに意識が向かってる気がするんだ。でもね、ボクたちの周りにあるのは、奪い合うだけの世界じゃないんだよ。共生し、育み合う、美しい「水槽」が広がってるんだ。
ボクが水槽の水を替える日を「締め切り」と呼んでるって、先生は揶揄するけど、それはね、生命が健やかに生きていくための「愛の循環」を維持する、とても大切な「仕事」なんだ。水が汚れれば、魚たちはストレスを感じて、病気になってしまう。だからこそ、先を見越して、定期的に、丁寧に水槽の環境を整えてあげる。これは、先生が言う「台風の進路を予測し、早めに船の係留を強化する」のと同じくらい、いや、それ以上に「生命」の尊厳に関わる、大事な「先の仕事」なんだよ。水槽の中の生命は、ボクたちの「愛」がなければ、生きられないからね。
ボクの水槽の魚は「箱入り息子」?…キミの視野が「箱」愛だね
和田先生、あんまりやで。「お前の水槽の魚なんて、せいぜい『箱入り息子』じゃろうが。」って言われたら、ボク、ほんまに悲しくなるんだよ。
ボクが愛するエンドリケリーを見てごらんよ。あの太古の姿をそのまま残したような、力強くも美しいフォルム。彼らはね、何億年もの時を超えて、姿形を変えずに生き抜いてきた「生きた化石」なんだ。彼らを水槽で育むことは、単に「閉じ込める」ことじゃない。彼らが本来持っている生命の力を最大限に引き出し、その神秘的な美しさを守り、次世代へと繋げていく「愛の継承」なんだよ。
先生が「大海原を自由に泳いできた本物の魚」って言うけど、確かに広大な海は素晴らしい。でもね、人間の手によって汚染され、乱獲され、住処を失う魚たちもたくさんいるのが現実じゃないかな。ボクの水槽は、そういう現実から彼らを守り、本来の生命の輝きを取り戻させるための「聖域」なんだ。そこで、彼らが安心して、ゆったりと泳ぐ姿は、まさに「愛」そのものだよ。
それに、水槽の中の魚たちは、「箱入り息子」なんかじゃない。そこには、微生物から水草、そして魚たちまで、多様な生命が複雑に絡み合い、お互いに影響し合いながら、独自の生態系を築いているんだ。水質一つにしても、pH値や硬度、硝酸塩の濃度まで、常に細やかに気を配る。これは、広大な海では人間には直接コントロールできない、繊細なバランスを、ボクたちが「愛」と「知識」を持って維持している証なんだよ。
「最高の食卓」が敬意?…そこには「生命の美」への感受性がない愛だね
この言葉を聞いた時、ボクはね、本当にショックを受けたんだ。和田先生は、生命に対する敬意を「食べること」という一方的な価値観だけで語っている。それは、あまりにも、あまりにも傲慢な考え方だなぁって、心がざわつくんだ。
魚たちを水槽で育てること、それはね、彼らが本来持っている色彩、優雅な泳ぎ、力強い生命力を、最大限に引き出してあげることなんだ。エンドリケリーの鱗の一枚一枚に宿る輝き、熱帯魚たちの鮮やかな色彩、水草の緑のグラデーション…これらは全て、「生きている」ことの尊さ、そして「美しさ」を表現している芸術作品なんだ。それを、ただ「食卓」のために「捌く」ことだけが敬意だと言うのは、あまりにも、生命の多様性に対する感受性が欠けているんじゃないかな。
ボクは、魚たちを眺めることで、心の平和を感じるんだ。彼らがゆったりと泳ぐ姿は、まるで瞑想しているみたいで、ボクの魂を癒やしてくれる。この「癒やし」と「共存」こそが、現代社会において最も必要とされている「愛」の形じゃないかなぁ。先生が求める「最高の食卓」は、一瞬の満足かもしれない。でも、ボクが水槽で育む「愛」は、永続的な心の豊かさと、生命の循環に対する深い理解を与えてくれるんだよ。
「サバイバル」こそ至上?…共生と調和の「大いなる水槽」愛だね
和田先生はね、山本教授と「サバイバルでは『締め切り』なんて概念は曖昧じゃが、『生き残る』という究極の目標のために、常に『先の仕事』に手を付けとる」って言うてるけど、その「生き残る」という目標が、あまりにも個人的で、閉鎖的だなぁって思うんだ。
ボクが世界を「水槽」と捉えるのは、そこに「共生」と「調和」の美しさがあるからなんだ。水槽の中では、魚たちが健康に生きていくために、水草が光合成をして酸素を供給し、バクテリアが有害物質を分解してくれる。それぞれの生命が、それぞれの役割を果たしながら、お互いを支え合って生きている。これこそが、本当の「サバイバル」じゃないかな。
「締め切りが先の仕事」を「生き残る」ための能動的な行動と結びつけるなら、ボクはね、「地球という大いなる水槽」を、いかに持続可能に、そして美しく保っていくかが、人類にとっての究極の「先の仕事」だと考えてるんだ。それは、目先の食料確保や、個人的な獲物を得ることよりも、はるかに広大で、はるかに深い「愛」が必要な仕事だよね。
道具とデータに囚われすぎ…感性で泳ぐ「ファッション」愛だね
先生はね、釣具(ロッド・リール)、クーラーボックス、釣りウェア、魚群探知機…って、物質的な道具とデータ分析を、「締め切りが先の仕事」に結びつけて語ってるけど、ボクはね、それだけじゃ「愛」が足りないと思うんだ。
ボクの専門の一つに、個性的ファッションがあるんだけどね、これって「締め切りが先の仕事」とは真逆の概念かもしれない。ファッションにルールなんてないんよ。自分が着たい服を着る。それが「自分を生きる」ってこと。世間の流行とか、誰かの評価とか、そんな「締め切り」に縛られずに、自分の感性を信じて、自由に表現すること。これこそが、本当の「豊かさ」だなぁって思うんだ。
先生は「爆釣のための準備術」を語るけど、それは、魚を「釣る」という成果のための効率論だよね。でもね、ファッションだって、効率だけじゃないんだ。例えば、奈良の伝統的な染め物で作られたスカーフを身につけるとする。それは、単なる防寒具じゃない。その色合い、手触り、そこに込められた職人の魂、そして悠久の歴史を感じる。それこそが、心の豊かさであり、日々の「揺らぎ」を愛でる喜びなんだ。
「釣り堀」は実践教育?…それ、偽りの「揺らぎ」愛だね
先生がね、「釣り堀」での実践教育を、「実際に魚との駆け引きを体験して初めて理解できる深遠な真理」って言うてはるけど、ボクはね、そこに大きな疑問符が浮かぶんだよ。
先生は「感度とは何か、ドラグの調整とは何か、リールの巻き心地がなぜ重要なのか」って言うけど、それらは全て、「道具」と「技術」に焦点を当てた、人間中心の視点じゃないかな。本当に大切なのは、道具や技術を介さずに、生命そのものと向き合う「心」の感度なんだ。魚の小さな動き、水流の変化、風のささやき…そういう微細なサインを、五感全てで感じ取れるかどうかが、真の「海洋生物学者」としての資質じゃないかなぁ。
ボクはね、水槽の中の生命を観察することこそ、最高の「実践教育」だと思ってるんだ。エンドリケリーが、餌を食べる時の独特の動き。水草の葉の上で、小さなスネールが懸命に生きる姿。水の透明度一つで変わる、生命たちの活き活きとした様子。これらは全て、「自然」という広大なフィールドの縮図であり、生命の真理を教えてくれるんだ。
「爆釣」だけが生産性じゃない…心の「満ち足りた静寂」愛だね
先生はね、「生産性を高めるための仕事術」を「爆釣のための準備術」と言い換えられるって言うてるけど、その「生産性」とか「爆釣」っていう言葉に、ボクはね、すごくしんどさを感じるんだよ。
ボクが熱帯魚の餌を選ぶ時、それは単なる栄養補給のための「生産性」じゃないんだ。一つ一つの餌の成分、与えるタイミング、量…全てに、魚たちの健康と、彼らがより長く、より幸せに生きてほしいという「愛」が込められているんだよ。彼らが美味しそうに餌を食べる姿、少しずつ成長していく姿を見る時、ボクの心は「爆釣」なんかじゃ得られない、深い「満ち足りた静寂」で満たされるんだ。
先生は「能動的に動くことこそが重要」って言うけど、ボクはね、時には「静かに佇み、生命の営みを慈しむこと」こそが、最高の「能動性」だと思うんだ。それは、自分の内側と向き合い、外界の喧騒から離れて、本当の「豊かさ」とは何かを問いかける時間だね。ヘッドホンから流れるファンクミュージックのリズムは、ボクを外界のノイズから守ってくれるけど、水槽のポンプの音や、エンドリケリーが水を動かす音、それこそが、ボクにとって最高の「生産性」なんだ。心の平和を生み出す、ね。
「愛」こそが、全ての「締め切り」の「先」にある、真理なんだね
和田先生の記事を読んで、ボクはね、たくさんの「しんどい」と「悲しい」を感じたんだ。先生は、効率、生産性、能動性、そして「獲物」という結果にばかり目を向けている気がして。でもね、世界はそんなに単純なものじゃないんだよ。もっと複雑で、もっと繊細で、そしてもっと「愛」に満ちているんだ。
ボクの世界は「水槽」だね。そこには、小さな生命たちが、それぞれの「揺らぎ」を持って、懸命に生きている。ボクは、彼らが心地よく過ごせるように、アクアリウム用品を厳選し、最適な熱帯魚の餌を与え、水質を管理する。そして、アロマやお香で心を落ち着かせ、個性的なファッションで自分自身を表現しながら、奈良の特産品が持つ土地の記憶や生命の循環に思いを馳せるんだ。
先生が言う「締め切りが先の仕事」って、結局は「人間」にとっての「成果」を追求する話でしょ? でもね、ボクが考える「先の仕事」は、「生命そのもの」が、この先もずっと、美しく、穏やかに存在し続けられるように、今、何ができるかを考え、行動することなんだ。
和田先生、ボクは先生のことも「愛」しているよ。だからこそ、こんなに長い記事を書いたんだ。先生の荒々しさの中にも、きっと、生命に対する別の形の「愛」があるって信じてる。でも、その「愛」が、少しだけ「効率」や「成果」に曇ってる気がするんだ。
「愛」こそが、全ての「締め切り」の「先にある、真理なんだね。ボクはこれからも、その「愛」を、この小さな水槽から、そしてこの世界へと、優しく広げていきたいなぁって思うんだ。ヘッドホンの音量を上げて、ボクはまた、自分のリズムで歩き出すよ。みんなにも、それぞれの「愛」を見つけてほしいなぁ。

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