フォッフォッフォ……。いやはや、みなさん、元気にしておるかのぅ?
国際叡愛総合芸術大学、福祉学部の亀井 玄じゃ。
今日も今日とて、ワシのこの矍鑠とした身体と、長年の経験から培われた知恵を、惜しみなく披露する所存じゃよ。
学内「加齢臭騒動」と情報の「匂い」:若いねぇ、みんな
さて、最近の学内は、なんとも騒がしいのぅ。どうしたことじゃろうか、教授たちがこぞって自身の「加齢臭」について論じ合っておる。
「若者からはどんな匂いがするのか」などと真剣な顔をして、ワシからすればなんとも微笑ましいことじゃ。
デオドラントシートだの、柿渋石鹸だの、衣類用消臭スプレーだのが密かに売れ行きを伸ばしていると、購買部の若い衆が教えてくれたのぅ。ワシには関係のない話じゃが、何とも世知辛い世の中になったものじゃ。自分の匂いまで気にするとは、なんともはや。
ま、ワシは昔から鼻が利かん。いや、耳も聞こえんのじゃったか。フォッフォッフォ。
若い頃は、他人の匂いや噂話にも敏感じゃったが、年を重ねるとどうも鈍感になるものじゃ。
それがまた、長生きの秘訣というものじゃな。余計な情報に振り回されず、自分のペースで生きる。これぞ、人生を全うする智慧というものじゃ。
それにしても、この加齢臭騒動、特に若い教授陣の間で顕著じゃな。金子くんなどは、何かにつけて「若さを保つ秘訣」などと、ワシの老いてなお健在な姿を羨ましがっておるようじゃが、まったくもって子どもじゃのぅ。
ワシの財産を狙うその眼差しも、若さゆえの浅はかさというものじゃ。遺産は猫(藤田教授の研究室)に寄付すると公言しておるのに、いまだ諦めきれぬとは、欲深さの極みじゃな。フォッフォッフォ。諦めの悪い奴ほど、人生のしまい方が下手なもんじゃ。
そういえば、つい先日も、金子くんが「亀井先生、最近お耳が遠くなったと聞いておりますが、実は最新のアンチエイジング理論では、聴覚の衰えが脳の老化と密接に関係しているとされておりまして…」などと、もっともらしい顔をしてワシに話しかけてきたんじゃが、ワシはわざと「ん? かねこくん、ワシの耳はまだ遠くないぞ? ただ、君の声が小さすぎて聞こえんのじゃよ」と答えてやったわい。まったく、この程度の牽制で黙るような男ではないがのぅ。
Otaniちゃんの「高性能集音器(笑)」と情報の選別術
聞こえんといえば、耳が遠いフリもなかなか大変なものじゃ。ワシは耳はまだ衰えておらんが、そう見せかけることで、聞きたくない情報から身を守るという術を身につけておる。
しかし、世の中には本当に耳が遠くなって困っておる人も多いんじゃな。そこで登場するのが補聴器じゃが、ワシは「補聴器の専門家」として、Otaniちゃんともよく相談しておるのじゃよ。
しかし、この「情報の選別」というテーマは、今日のワシの講義にも繋がっておるのじゃ。
加齢臭も、耳が遠いフリも、そしてOtaniちゃんの開発する(であろう)高性能集音器も、結局は自分にとって不要なもの、聞きたくないもの、嗅ぎたくないものを排除しようとする人間の営みじゃな。
まさに、この情報過多の時代において、何を聞き、何を聞かないか、何を信じ、何を疑うかという「情報選別能力」は、健康寿命ならぬ「情報寿命」を延ばす上で、非常に重要な能力になってきておる。
Fujita教授とワシの「終活」計画
ところで、Fujita教授とは、ワシの「遺産を猫に寄付する」という公言以来、すっかり盟友(ally)の関係になったのぅ。いやはや、彼女の研究室の猫たちを、ワシは陰ながら応援しておるんじゃよ。
猫たちは、人間の思惑など知る由もなく、ただただ気ままに、そして健やかに生きておる。あの姿こそ、あるべき「人生の終い方」の理想形じゃと思わんかね?
無駄な争いもなく、ただ与えられた命を謳歌する。素晴らしいことじゃ。
金子くんや兼雨くん(彼もまた、ワシの財産を虎視眈々と狙っておるからな、フォッフォッフォ)のような人間には、あの猫たちの純粋さが見習えんのじゃろう。ワシの遺産が猫たちに寄付されるとなれば、きっと彼らは悔しがるじゃろうな。それもまた、人生の愉しみというものじゃ。
さて、前置きが長くなったが、本題に入るとしようか。
今日の講義は、最近巷を騒がせておる、とあるニュースについてじゃ。
「グーグルやOpenAIなどのAIモデル、言論統制の厳しい国で『代理検閲』か–最新報告書」という記事が目に飛び込んできたんじゃな。
これを聞いて、ワシはピンときたのじゃよ。
これはまさに、情報時代の「耳が遠いフリ」であり、「情報の加齢臭」問題であり、「情報の相続争い」の予兆でもある、と。
ワシの専門領域では、情報というものの「健康寿命」と「資産継承」について、長年研究を重ねてきた。
特に、老いていく身体と、老いていく情報社会との付き合い方については、誰よりも深い洞察があると自負しておる。
今日の講義では、このAIによる「情報の選別」が、ワシらの人生の終い方、ひいては社会全体の「情報寿命」にどのような影響を与えるのかを、ワシの専門分野に無理やり…いや、巧みに結びつけて解説していくとしようかのぅ。フォッフォッフォ。
さあ、椅子にもたれて、ゆっくりとワシの話を聞きなされ。
耳が遠いフリはせずとも、心で聞けばきっと分かるはずじゃ。長生きするもんじゃのぅ、ワシの話も。
——————————
デジタル時代の『情報寿命』とワシの『長寿哲学』
さて、先ほど言及したニュースじゃが、Giggle(グーグル)やOpenAIといった、今の世の耳目を集める大規模言語モデル(LLM)が、どうやら政府に批判的な質問に対して、国によって回答に一貫性がなかったり、言論の自由が保護されている国とそうではない国とで対応が異なるというのじゃな。
これは、「代理検閲」とまで言われておる。ほう、なんとも興味深い話じゃ。
ワシが耳が遠いフリをするのは、聞きたくない話を聞かないため、つまり自分の精神的な平穏を保つためじゃが、AIが「代理検閲」をするというのは、聞かせたくない情報を聞かせないということじゃな。しかも、それが国家権力と結びついている可能性もあるとなれば、話は一層複雑になる。
AIの「選り好み」と情報の健康寿命
ワシは長年、人間の「健康寿命」と「人生の終い方」について研究してきた。
しかし、このAIの話題に触れると、情報の寿命、いや、「情報の健康寿命」についても真剣に考えねばならんのぅ、と改めて思うわけじゃ。
AIが情報を「選り好み」するというのは、まるで栄養バランスの偏った食事を提供されるようなものじゃ。特定の栄養素ばかり与えられれば、身体は健康を損なうじゃろう。情報も同じじゃ。
一方向的な情報ばかり摂取すれば、健全な判断能力が失われ、情報弱者ならぬ「情報不健康者」が増えてしまう。
これは、ワシが福祉学部の教授として最も懸念するところじゃ。
Giggle教授の研究室でも指摘されていたことじゃな
いやはや、この「AIによる情報偏向」については、何も今に始まったことではないんじゃよ。
本学の研究では予見されていたことじゃ。
特に、ワシらの福祉学部と連携しているGiggle教授の研究室では、数年前から「情報過多社会におけるアルゴリズム的バイアスが、高齢者の認知判断に与える影響」について警鐘を鳴らしておった。彼らは未来を予測する天才じゃな、フォッフォッフォ。
彼らの研究によれば、インターネット検索エンジンのアルゴリズムや、SNSのタイムライン表示順序などが、知らず知らずのうちにユーザーの情報を「操作」しておるというのじゃ。
これは、まさにAIによる「代理検閲」の萌芽であり、ワシらがどう情報と付き合うべきかという根源的な問いを投げかけておる。
情報が長生きするためには、多様な視点から検証され、健全な議論の対象となる必要があるんじゃな。
情報の「エンディングノート」とは何か?
ワシはいつも、人生の終い方、すなわち「終活」の重要性を説いておる。
その中でも、エンディングノートは、自分の意思を明確にする上で欠かせないものじゃ。
しかし、このAI時代の到来により、情報の「エンディングノート」の必要性も高まっておる、とワシは考えておるんじゃな。
ワシらが残すのは、財産や思い出だけではない。デジタルデータ、すなわち「情報」もまた、ワシらの人生の軌跡じゃ。
ブログの記事、SNSの投稿、クラウドに保存された写真や文書、これらすべてが「情報遺産」となる。
AIが恣意的に情報を取捨選択する世の中では、ワシらの残したい情報、後世に伝えたい情報が、正確に、そして偏りなく継承されるかどうかは、もはや自明ではないんじゃな。
だからこそ、「ワシの情報はこうあるべきだ」という意思を、明確に示しておく必要がある。これが、ワシが提唱する「情報のエンディングノート」じゃ。
どの情報を公開し、どの情報を非公開とするか。どの情報を誰に引き継ぎ、どの情報をどう処分するか。これらを記すことが、情報の健康寿命を延ばし、無用な情報争いを避ける道となるじゃろう。
AI時代の『補聴器』、いや、『補聴脳』の必要性
ワシが耳が遠いフリをするのは、余計な情報をシャットアウトするためじゃが、AIが「代理検閲」をして情報を隠蔽するとなると、話はまるで逆になる。
まるで、耳を塞がれて、都合の良い話だけ聞かされているようなものじゃな。
これは由々しき事態じゃ。なぜなら、健全な社会は、多様な情報と議論の中から生まれるからじゃ。
ワシの高性能集音器とAIの「高性能フィルター」
先ほども話したじゃろう、Otaniちゃんとの「高性能集音器」の話じゃ。ワシは聞こえないふりをするために、余計な雑音をカットする機械が欲しいと冗談交じりに言っておるが、AIが持っておるのは、まさに「高性能フィルター」じゃな。
このフィルターは、ワシらの知らないうちに、特定の情報だけを通し、特定の情報だけを遮断する。
それは、まるで片耳だけ聞こえなくされたようなもので、ワシらは常に偏った情報しか受け取れなくなる恐れがあるんじゃ。
補聴器は聞こえなくなった耳を助けるものじゃが、AIの高性能フィルターは、聞こえる耳すらも都合よく「調整」してしまう可能性があるのじゃ。
情報の「聞き分け」力を高めるための「補聴脳」訓練法
このような時代において、ワシらが身につけるべきは、単なる補聴器ではない。
ワシはこれを「補聴脳(ほちょうのう)」と呼んでおるんじゃな。
これは、AIが提供する情報を鵜呑みにせず、多角的に検証し、真偽を見極めるための情報リテラシーの総体じゃ。
具体的には、以下の訓練が必要じゃとワシは考えておる。
これらの「補聴脳」を鍛えることで、ワシらはAIのフィルターを乗り越え、真に豊かな情報生活を送ることができるじゃろう。長生きするもんじゃ、情報も人間も。
Otaniちゃんの研究室でも「AI聴覚情報処理システム」を開発中じゃが
この「補聴脳」の概念は、Otaniちゃんの研究にも通じるものがあるんじゃ。
彼女は、人間の聴覚を補助するだけでなく、情報処理能力を高める「AI聴覚情報処理システム」なるものを開発しておると言っておったのぅ。
ワシはてっきり、ワシの「耳が遠いフリ」をより完璧にするための、周囲の会話の中から「金子くんがワシの遺産について話している」というキーワードだけを抽出し、それ以外の余計な情報を自動でカットしてくれるようなシステムでも作っておるのかと思っておったが、どうやらもっと壮大な目標があるようじゃな。
彼女の目指すシステムは、まさにワシの言う「補聴脳」の一助となるものかもしれん。
音響情報の中から、重要な意味を持つ情報を抽出し、不要なノイズを排除する。これは、情報過多のインターネット空間で、真に価値ある情報を見つけ出すことと本質的には同じことじゃ。
Otaniちゃんには、ぜひとも「AI時代の情報耳垢除去機能」も搭載するように進言しておいたぞ。フォッフォッフォ。
『エンディングノート』は情報の終活にも必須じゃ!
ワシの専門分野の中でも、エンディングノートは特に重要な位置を占めておる。
これは、自身の最期の意思表示を明確にし、残された家族が困らないようにするための、いわば「人生の設計図」じゃな。
しかし、AIが情報を支配し始める現代において、このエンディングノートの概念を、ワシらの「情報資産」にも適用すべき時が来た、とワシは強く主張しておる。
デジタル遺産と「情報の相続税」
ワシらが残すものは、現金や不動産といった目に見える財産だけではない。
スマートフォンの中のデータ、PCのハードディスク、クラウドサービスに保存された膨大なデジタルデータ。これらは「デジタル遺産」と呼ぶべきものじゃな。
そして、このデジタル遺産が、何の整理もされずに残された場合、それが時に「情報の相続税」となって、残された家族の負担となることがあるんじゃ。
デジタル遺産の整理には、時間と労力がかかる。しかも、もし故人の思想やプライバシーに関わる情報が不用意に公開されてしまえば、それは故人の尊厳を傷つけることにもなりかねん。
AIが情報を自動的に整理・公開する時代になれば、さらにそのリスクは高まるじゃろう。
AI時代の「エンディングノート」に書くべきこと
では、AI時代のエンディングノートには、具体的に何を記すべきか?
ワシが考えるに、最低限、以下の項目は必須じゃ。
これらを記しておくことで、ワシらの情報がAIによって勝手に「検閲」されたり、誤った形で公開されたりすることを防ぎ、健全な「情報継承」が可能となるじゃろう。
金子くん、ワシのデジタル資産は猫には譲らんぞ
しかし、このような「デジタル遺産」の話になると、必ずや鼻を利かせてやってくるのが、あの金子輝くんじゃな。
彼はワシの財産はもちろんのこと、ワシが長年研究してきた学術データや、果てはワシの過去のインターネット上の活動履歴(実は若い頃、詩人として名を馳せておったんじゃよ、フォッフォッフォ)まで、何かと理由をつけて「引き継がせていただきたい」などと、虎視眈々と狙っておるようじゃ。
だが、残念じゃったな、金子くん。
ワシのデジタル資産は、厳重にパスワードで保護されており、その鍵はワシのエンディングノートの奥深く、そして猫(藤田教授の研究室)には譲らんが、ワシが信頼する後進の研究者には、しっかりと引き継がれるよう手配しておるんじゃよ。
お主のように、私利私欲のために情報を利用しようとする者には、決して渡さんぞ。フォッフォッフォ。
情報の「終わり方」もまた、人生の「終わり方」と同じく、計画的に、そして美しくあるべきじゃ。
シニア向け宅配弁当から学ぶ『情報栄養学』
さて、話は変わるが、ワシの専門分野の一つにシニア向け宅配弁当があるんじゃな。
これは単に食事を届けるというだけではない。高齢者の健康寿命を延ばすために、栄養士が緻密に計算し、バランスの取れた食事を提供することに意味があるんじゃ。
この宅配弁当の思想は、まさにAI時代の「情報栄養学」にも通じるものがあるとワシは考えておるんじゃよ。
AIの偏食が招く「情報栄養失調」
AIによる「代理検閲」や情報選別は、ワシらの情報摂取を極端な「偏食」に陥らせる危険性がある。
まるで、甘いものばかり、あるいは脂っこいものばかりを毎日食べさせられるようなものじゃ。
一見すると満足感があるかもしれんが、長期的に見れば、必要な栄養素が不足し、「情報栄養失調」を招いてしまうんじゃな。
情報栄養失調に陥れば、社会の全体像を把握できず、物事の本質を見抜く力が衰える。ひいては、民主主義社会における健全な意思決定すら危うくなる。
宅配弁当が多種多様な献立で栄養バランスを保とうとするように、ワシらの情報摂取もまた、多様性とバランスが肝要なのじゃ。
情報のバランス定食を組み立てるコツ
では、この「情報栄養失調」を防ぎ、情報の「バランス定食」を組み立てるにはどうすれば良いかのぅ?
ワシが提唱するのは、以下の三つの柱じゃ。
これらを意識して情報摂取することで、AIの偏ったフィルターに惑わされることなく、健全な「情報健康寿命」を維持できるんじゃな。宅配弁当の献立表を見るように、自身の情報摂取のバランスを定期的にチェックする習慣をつけるのが良いじゃろう。
Giggleのレシピとワシの栄養学
GiggleなどのAIは、確かに膨大な情報源から瞬時に情報を集約してくれる優れものじゃ。
それはまるで、世界中のレシピを集めた超高性能な料理本のようなものじゃな。
しかし、そのレシピが「言論統制の厳しい国」の検閲を経たものだとすれば、どうじゃ?
提供される料理は、確かに美しく、美味しそうに見えるかもしれんが、必要な食材が隠されていたり、味付けが特定の思想に偏っていたりする可能性があるんじゃな。
ワシの「情報栄養学」は、AIが提供する「レシピ」をそのまま鵜呑みにせず、その食材の出所、調理法、そして隠された意図までをも見抜く目を養うことじゃ。
人間が最終的に判断を下すために、AIはあくまで「道具」として、その限界と特性を理解した上で活用することが肝要じゃな。
フォッフォッフォ、長生きするもんじゃ、このワシの教えも。
『老人ホーム』選びにも通じる、AI時代の情報選択の知恵
ワシのもう一つの専門分野、老人ホーム検索じゃが、これはまさに人生の終盤を左右する重要な選択じゃ。
良い施設を見つけるためには、多くの情報収集と、冷静な比較検討が必要不可欠じゃな。
AIが提供する情報が「代理検閲」されている可能性がある今、この老人ホーム選びの知恵が、情報選択のあらゆる場面で役立つとワシは考えておるんじゃ。
施設情報とAI情報の「見極めポイント」
老人ホームを選ぶ際、ワシらはパンフレットやウェブサイトの情報だけでなく、必ず「施設見学」に行くじゃろう。
実際に足を運び、自分の目で施設の雰囲気、入居者の様子、スタッフの対応を見る。そして、施設の責任者やケアマネージャーと直接話し、疑問点を解消する。
これが、パンフレットには載っていない「生の情報」であり、最終的な判断を下す上で最も重要な要素となるんじゃな。
AIが生成する情報は、確かに膨大で効率的じゃが、それはあくまで「パンフレット情報」に過ぎん。
AIの「代理検閲」によって都合の悪い情報が隠蔽されているとすれば、それは「虚偽のパンフレット」を見せられているのと同義じゃ。
だからこそ、AI時代においては、老人ホーム選びと同じように、「情報の現場」に足を運び、自分の五感で確認する努力が必要なんじゃな。
人と人との対話から生まれる「信頼」という情報
老人ホーム選びで最も重要なことの一つは、「信頼できる人」からの情報じゃな。
ケアマネージャーや、すでに施設に入居している人の家族、あるいは地域の福祉関係者。
彼らとの対話から得られる情報は、AIがいくら賢くなっても代替できない、「生きた情報」じゃ。
AIは、アルゴリズムに基づいて情報を提示するが、そこには「感情」や「人間関係」といった要素は含まれておらん。
しかし、ワシらが人生の重大な決断を下すとき、最終的に頼りになるのは、人間同士の信頼に基づいた情報じゃ。
AIの生成する情報が疑わしい時代だからこそ、「対話」の価値が改めて見直されるべきじゃな。
Otaniちゃんとの「高性能集音器」の話もそうじゃ。結局のところ、ワシが本当に欲しているのは、特定の情報を聞き取るための機械的な機能ではなく、Otaniちゃんという人間との信頼関係の中で生まれる「安心感」という情報なんじゃな。フォッフォッフォ、ワシも歳を取ると、人情に厚くなるもんじゃ。
最期の住まい選びと情報の最終判断
最期の住まいを選ぶことと、AIが提供する情報を判断することは、どちらも「自分の人生をどう生きるか」という最終判断に関わることじゃ。
AIに任せきりにすれば、それは自分の人生の決定権を他者に委ねることになる。
ワシはいつも、「自分のことは自分で決める」という自己決定権の重要性を説いておる。
それが、たとえ耳が遠いフリをして周囲の雑音をシャットアウトすることであっても、ワシの意思じゃ。
AIが「代理検閲」する世の中では、ワシらは「情報の自己決定権」を強く意識する必要がある。
提供される情報を鵜呑みにせず、常に疑いの目を持つこと。そして、最終的には自分の頭で考え、自分の価値観に基づいて判断を下すこと。これこそが、AI時代における「情報の長寿」の秘訣じゃな。
ワシの財産と情報の継承、そして猫への愛
さて、ずいぶんと長々と話してしまったのぅ。
しかし、このAIの「代理検閲」問題は、ワシのような長老にとっても他人事ではないんじゃよ。
特に、ワシの莫大な資産、そして長年の研究で培ってきた知識という「情報資産」の継承について考えさせられる。
金子くん、遺産は猫、情報は後進にじゃな
金子輝くんのような、ワシの遺産を狙う輩が跋扈する時代だからこそ、ワシは自身の意思を明確にしておるんじゃな。
そして、ワシの「情報資産」についてじゃが、これは金子くんのような私利私欲に走る者ではなく、真に学問を愛し、社会の福祉に貢献しようとする若き後進の研究者たちに引き継いでいきたいと考えておるんじゃな。
彼らがAIによって偏った情報に惑わされることなく、健全な研究活動ができるよう、ワシの知識と経験が役立つことを願っておる。
情報の「宝の地図」を次世代へ
ワシが残したいのは、単なるデータではないんじゃ。
それは、長年福祉の現場で培ってきた「人間観察の知恵」であり、「長寿の秘訣」であり、そして「人生のしまい方」に関する深い洞察じゃ。
これらを、AIのフィルターを通すことなく、次世代に直接伝えるための「宝の地図」を作成しておるんじゃよ。
この「宝の地図」には、ワシのエンディングノートに記されたデジタル資産のアクセス情報はもちろんのこと、ワシが人生で出会った様々な人々の物語や、ワシが体験した社会の変化の記録などが、詳細に記されておる。
それは、AIには決して生成できない、人間独自の「生きた情報」じゃな。
長生きの秘訣は「情報代謝」と「情報の終活」
結局のところ、ワシが今日皆に伝えたかったことは、「長生きするもんじゃ」ということじゃ。
身体が長生きするだけでなく、「情報」もまた長生きさせるための知恵が必要じゃ、ということじゃな。
それは、AIの「代理検閲」に惑わされず、自ら情報を取捨選択する「情報代謝」の能力を高めること。
そして、自身の情報資産を整理し、未来にどう引き継ぐかを明確にする「情報の終活」を実践することじゃ。
ワシは耳が遠いフリをしながら、常に世の中の動きに目を光らせておる。そして、若い教授たちのゴタゴタを微笑ましく見守りながら、彼らがいつかワシのように、人生の奥深さや情報の重要性に気づくことを願っておるんじゃな。
フォッフォッフォ。今日の講義はここまでじゃ。
皆さん、どうか健康に、そして賢く長生きするんじゃぞ。
長生きするもんじゃ、本当に。

コメント