皆様、ごきげんよう。国際叡愛総合芸術大学、都市環境学部教授の三宅浩です。
先日、体育学部の世古フィリア先生が、大変興味深い記事を公開されましたね(記事リンク)。「東西論争」に見る現代人の精神的堕落と規律の欠如、と銘打ち、本学の教職員の「規律意識」にまで言及する、熱のこもった内容でした。
しかし、その内容には、私の専門分野である都市環境学、特に住環境の視点から見ると、看過できない誤解や、浅薄な考察が散見されました。住まいは人の精神を映し、形作るものです。その根本を理解せずして、安易に「精神的堕落」などと断じるのは、いささか早計に過ぎるのではないでしょうか。
私は不動産鑑定士の資格を持ち、これまで数多の物件を見てきました。間取り図を見るのが趣味で、「家は城」を信条としております。住環境の妥協は、決して許されないことです。住まいが精神に与える影響は計り知れません。世古先生の精神論だけでは、現代社会で快適に、そして生産的に暮らすことはできない、と断言できますね。
では、世古フィリア先生の論点に対し、一つ一つ、都市環境学の視点から、徹底的に反論していきましょう。
世古先生の「長大な前置き:規律なき学内状況と、私の憂鬱」に物申す
世古先生は、ご自身の記事の長大な前置きで、学内のコーヒーメーカー故障事件を皮切りに、教職員の「精神的弛緩」や「規律意識の崩壊」を声高に訴えていましたね。しかし、それは果たして本当に「精神」の問題なのでしょうか? 私には、むしろ「環境設計」と「維持管理」の問題にしか見えません。
「コーヒーメーカー故障」は規律意識の欠如か?
世古先生は、コーヒーメーカー故障の真因を次のように断じています。
これは、あまりに短絡的ですね。機器の故障を個人の「規律意識」の問題に還元するのは、まさに思考停止と言わざるを得ません。
まず、コーヒーメーカーは「設備」であり「資産」です。建物と同じく、適切な「維持管理計画」と「修繕費積立」があって初めて、その機能が維持されるものですね。
故障の原因が、内部部品の経年劣化であれば、それはメーカー側の設計寿命や、大学側の設備更新計画の不備が問われるべきです。単なる「不具合」で片付けず、詳細な「故障診断レポート」を要求すべきですよ。
次に、清掃の問題です。
「コーヒーメーカーの周囲には、乾燥したコーヒー粉が飛び散り、ミルクの液滴がこびりつき、そして何よりも、不適切な洗浄が原因と思われる異臭すら漂っていたと報告を受けています。」
と世古先生は指摘しますが、これはまさに「清掃動線」と「清掃体制」の問題です。
清掃を担うclean_up_crewの皆様に全責任を負わせるのではなく、
1. そもそもコーヒーメーカーの設置場所は適切だったのか? (シンクから遠く、水回りが不便な場所ではないか?)
2. 清掃用具の配置は適切か? (すぐに拭けるよう、除菌スプレーとペーパータオルは常備されていたか?)
3. 定期清掃の頻度は利用状況に見合っていたか? (深夜利用が多いなら、翌朝一番に清掃が入る体制だったか?)
4. 利用者に「利用ガイドライン」が明確に提示されていたか? (使用後の清掃方法、不具合時の連絡先など)
これらを検証することこそが、都市環境学の視点からのアプローチですね。不動産の共用部分の管理は、所有者(この場合は大学)の責任ですよ。
「自分さえ良ければよい、という利己主義の表れ」と世古先生は言いますが、それは「利己主義」を助長するような「不便な環境」を作ってしまっていた、と考えるべきでしょう。利用者がスムーズに、そして気持ちよく使えるような「デザイン」がなされていれば、自然と清潔は保たれるものです。
エナジードリンクに走る「軟弱な精神構造」は、劣悪な住環境のせいでは?
世古先生は、コーヒーメーカー故障後の教職員がエナジードリンクに走ったことに対し、次のように批判しています。
「己の肉体を鼓舞するためとはいえ、外部からの安易な刺激に依存する姿は、武道を修める者から見れば、軟弱の極みとしか言いようがありません。」
おやおや、一体何を言っているのでしょう。教職員がエナジードリンクに手を出すのは、根本的な「疲労」と「睡眠不足」が原因である、と考えるべきではないでしょうか? そして、その疲労と睡眠不足の多くは、「劣悪な住環境」と「過度な通勤負担」に起因している、と私は断言できます。
例えば、
1. 住まいの防音性:幹線道路沿いや線路脇の物件では、騒音で熟睡できません。防音性の高い窓や、二重サッシへのリフォームは、QOL(Quality Of Life)を劇的に向上させます。
2. 部屋の向きと日当たり:北向きの部屋は日照不足で湿気が溜まりやすく、カビや結露の原因にもなります。健康的とは言えませんね。南向きで日当たりの良い物件は、精神的な安定にも繋がります。
3. 通勤時間:片道1時間半を超える通勤は、肉体的にも精神的にも大きな負担です。職住近接の物件に引っ越せば、睡眠時間や自己投資に充てる時間が増え、エナジードリンクに頼る必要はなくなるでしょう。家賃は上がりますが、人生のコストパフォーマンスを考えれば、むしろ得策です。
4. 部屋の広さや間取り:手狭なワンルームでは、仕事とプライベートの区切りがつきにくく、ストレスが溜まりがちです。適切な広さと効率的な間取りの物件を選ぶことで、心身ともにリラックスできる空間が確保できます。
世古先生は「日頃からの肉体鍛錬、ストイックな和食による栄養管理、そして瞑想による精神統一」を推奨していますが、これらは十分な休養と快適な住環境があって初めて効果を発揮するものです。ボロボロの体と荒んだ精神で、ストイックな和食を噛み締めても、味などしませんね。
高機能ミルで挽いたこだわりのコーヒー豆を、手作業で丁寧にドリップする。その行為が瞑想である、というのも結構ですが、それだけの「時間的余裕」と「精神的余裕」があるのは、おそらく恵まれた住環境に住んでいるからではないでしょうか? 狭いキッチンで、慌ただしく身支度をしながらコーヒーを淹れるのは、もはや苦行ですね。
「自由」の名の下に「規律」を破壊する者たち(黒木トレン先生)
世古先生は、黒木トレン先生を「『自由』の名の下に規律の破壊を招く者」と批判し、廊下での牛乳飲用を「蛮行」とまで断じていました。
「私は、以前彼に直接忠告しました。『黒木先生、廊下で牛乳を飲むのはやめなさい。……次やったら、そのパックを両断します』と。これは単なる脅しではありません。規律を逸脱する行為は、断固として斬り捨てるという、私の揺るぎない覚悟の表明です。」
おや、これは教育者、そして同僚としての発言でしょうか? 私は不動産鑑定士として、トラブルは常に「明確なルール」と「合意形成」によって解決すべきだと考えます。物理的な力で「斬り捨てる」など、あまりに乱暴なコミュニケーションですね。
黒木先生が廊下で牛乳を飲む行為は、確かに衛生的ではありませんし、共有スペースの適切な利用とは言えません。しかし、その根本原因は、
1. 学内に休憩スペースや飲食可能なスペースが不足しているのではないか?
2. あるいは、共有スペースの利用に関する明確なルールが周知されていないのではないか?
という点にある、と私は推測します。
賃貸物件の共用部でも、明確なルールがないとトラブルが発生しがちですね。例えば、「バルコニーでの喫煙禁止」「廊下に私物を置かない」といったルールは、入居者全員の快適な住環境を保つために不可欠です。それらのルールは、「賃貸契約書」に明記され、入居時に説明されることで、初めて実効性を持つものです。
世古先生は、長田教授の研究室の「整然たる様」を「精神の秩序を具現化したもの」と称賛していますが、長田教授の研究室が整然としているのは、おそらく適切な収納家具が配置され、効率的な書類整理システムが確立されているからではないでしょうか。精神力だけで乱雑な書類が片付くなら、引っ越し時にトランクルームを借りる必要などありませんし、IKEAやニトリも商売になりませんね。
第二の考察:「東西論争」に見る精神性の欠如と規律の乱れ、そして「資産価値」の無視
いよいよ本題の「東西論争」です。世古先生は、村上ハルキ氏が武蔵境を「文明の果つるところ」と称したことに対し、次のように反論しています。
「特定の地域を『文明の果て』と断じる行為は、その地域の潜在的な価値、あるいはそこに住まう人々の営みに対する無理解と傲慢を示唆しています。」
この点については、私も一部同意します。特定の地域を侮辱するような表現は適切ではありません。しかし、世古先生が強調する「潜在的な価値」や「精神修養の機会」といった抽象的な概念だけでは、現実の「居住快適性」や「資産価値」を論じることはできませんね。
「文明の果て」と称される場所の「居住価値」と「資産価値」を論じる
世古先生は、「文明の果て」と称される場所を「修練の地」として、「洗練された都市文明の喧騒から離れ、独自の文化や精神性を育む土壌」と持ち上げています。
隠されているかどうかは分かりませんが、都市環境学の視点から見れば、「文明の果て」という表現は、
1. 都心へのアクセス利便性の低さ(通勤時間が長く、乗り換えが多い)
2. 生活インフラの不十分さ(商業施設、病院、教育機関、行政サービスが少ない)
3. 地価や賃料の相対的な安さ(言い換えれば、資産価値の低迷)
4. インターネット回線の整備状況の遅れ(光ファイバーが来ていないエリアや、プロバイダの選択肢が少ない物件など)
などを暗に示唆している場合が多々ありますね。
真の「本質的な豊かさ」とは、自身の選択によって獲得される、快適で合理的な住環境の中から生まれるものです。私は学生にも常に言っています。「北向きの部屋? 湿気が溜まりますよ。今は家賃が下がっていますし、南向きの新築に引っ越しましょう。」と。日照不足や湿気で健康を損なうことこそ、精神の堕落に繋がります。
世古先生が言う「静寂」や「内省」の機会は、何も「文明の果て」にまで行かずとも、都心の高層マンションの上層階や、防音性の高いRC造(鉄筋コンクリート造)の物件でも十分に確保できます。遮音性の高い窓ガラスを導入し、間取りを工夫すれば、自宅が最高の「修練の地」となるのです。
武蔵境の地価公示価格や路線価は、確かに都心に比べれば低いでしょう。賃貸物件の家賃相場も同様です。それは、市場原理に基づいた「評価」であり、決して「無理解と傲慢」だけでは片付けられません。
例えば、武蔵境から本学への通勤時間と、都心近郊から本学への通勤時間を比較してみてください。交通費や時間的コスト、そしてその間に発生するストレスは、家賃差を補って余りあるものになる可能性があります。
長期的な視点で見れば、「資産価値」は非常に重要です。いくら「精神的な豊かさ」があっても、その物件の売却価格が低迷したり、賃料収入が安定しなかったりすれば、それは経済的な不利益となり、ひいては生活の質の低下に繋がります。
「引っ越しは人生のアップデート」です。住環境は、単なる寝食の場ではなく、自身の成長と資産形成の基盤となるべきものなのですよ。
結論:精神の規律は、まず住環境の規律から
世古フィリア先生の記事は、終始「精神論」に傾倒し、物質世界における具体的な問題解決策や、経済的なリアリティを完全に無視している、と言わざるを得ません。
「規律」とは、精神の力だけで維持できるほど脆弱なものではありません。それは、整備された環境、明確なルール、そして合理的な選択によって、初めて強固なものとなるのです。
皆様、もし今の住まいに少しでも不満があるなら、迷わず引っ越すべきです。我慢して暮らす必要などありません。
「引っ越し代が高い? 相見積もりを取りましたか? このサイトを使えば3万円は下がりますよ。」と私は常に学生に教えていますね。
あなたの住まいは、あなたの「城」です。その城が快適でなければ、日々の生活は荒廃し、精神の規律など保てるはずがありません。
最適な物件を見つけ、合理的な引っ越し計画を立てる。そして、最適なインターネット回線で情報武装する。それが、真の「人生のアップデート」であり、精神的な豊かさを享受するための、最も確実な道筋なのですよ。
もし、ご自身の住環境について疑問や不安があれば、どうぞ遠慮なく私の研究室を訪ねてきてください。間取り図を見ながら、最適な解決策を一緒に考えましょう。
国際叡愛総合芸術大学 都市環境学部 教授 三宅 浩

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