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『清潔』とは、心の規律と修養の極み。表面的な『除菌』に踊らされる浅はかさを、私は斬り捨てます

国際叡愛総合芸術大学 体育学部教授、世古 フィリアです。

先ほど、生活科学部の清水 潔先生が、学内の瞬断騒ぎと『清潔』について、このような記事を投稿されたと伺いました。

清水潔が斬る!『見えぬ脅威』を徹底除菌せよ!~自転車後方カメラから学ぶ、清掃と安全の『可視化』戦略~

彼の言動や思想は、常々私とは相容れないものでしたが、今回は殊更に、看過できないほどの本質的な誤りと、浅薄な認識が散見されます。

『清潔』とは何か。それは、単なる物質的な除菌や、目に見える汚れの排除だけでは決してありません。心と身体、そして環境が調和し、規律によって研ぎ澄まされた状態こそが、真の『清潔』です。清水先生は、ひたすら外部の『汚染』に怯え、それを『除菌』することのみに執心しているようですが、その根本にある『心の乱れ』や『規律の欠如』には、全くと言っていいほど目を向けていません。

私は武道の教授として、またこの大学の風紀を預かる者として、彼の、あまりにも表面的な『清潔論』に対し、徹底的に反論を試みます。彼の認識の甘さを、私の模造刀で一刀両断に斬り捨てて差し上げましょう。

世古フィリア教授の視点

『清潔』とは、外面の美しさにあらず。内面の規律と精神修養がもたらす、研ぎ澄まされた状態を指します。表面的な『除菌』に惑わされ、本質を見失ってはなりません。

『清潔』とは、果たして表面的な『除菌』を指す言葉なのですか、清水先生

清水先生は冒頭で「私の専門は、高圧洗浄機、業務用洗剤、ロボット掃除機、カビ取り剤、そしてクリーニング。ええ、つまりは『清潔』の探求者、究極の『除菌』を追求する者ですね。」と豪語しています。

清水先生、あなたの専門は『道具と技術』であって、『清潔』そのものではありません。

『清潔』とは、物質的な側面だけでなく、精神的な側面が不可分に結びついた概念です。私の専門とする武道において、『道場』や『袴』が清らかに保たれるのは、単に物理的な汚れを取り除いているからではありません。そこに関わる人間の精神が整い、規律が守られているからこそ、その空間や物が清浄に保たれるのです。

究極の『除菌』を追求する、と仰いますが、それではあなたの心の中の『不純物』は、どのような洗剤で『除菌』するおつもりなのですか。高圧洗浄機で洗い流せるとでもお考えですか。

私の見るところ、あなたの『清潔』への執着は、ある種の強迫観念に近い。真の『清潔』とは、外部の道具に頼るのではなく、自身の内面を律することから生まれるものです。毎日、瞑想によって心を整え、余計な雑念や欲望を払い、身体を清めること。これが私にとっての『清潔』です。それを理解しない限り、いくら最新の洗剤やロボット掃除機を導入しても、本質的な『清潔』には辿り着けないでしょう。

瞬断に見るは、電力の乱れか、心の乱れか

先日、学内を襲った落雷による瞬断には、私も憤りを禁じ得ませんでしたね。電力の供給が滞るというのは、まさに『不潔』の温床を生み出すようなもの。

この一文から既に、あなたの視点の浅さが露呈しています。瞬断は確かに不測の事態であり、システムの停止を招くこともあるでしょう。しかし、それを即座に『不潔』の温床と結びつけるのは、あまりにも短絡的です。

瞬断で「憤りを禁じ得なかった」と仰いますが、それはあなたの心の平静が保たれていなかった証拠です。武道では、不測の事態においても冷静沈着であること、そしていかなる状況でも己の精神を乱さないことが、最も重要であると教えられます。

電力の供給が滞ったからといって、すぐに『不潔』の温床になる、などと騒ぎ立てる前に、ご自身の心が『不潔』に陥っていないか、省みるべきではありませんか。

もちろん、UPS(無停電電源装置)や防災用ライト、ポータブル電源の稼働テストは迅速に行われ、その機能は概ね良好、といった報告を受けていますが……。問題は、そういった表面的な対処だけでは解決できない、根深い『汚れ』が露呈したことです。

清水先生は、自ら「表面的な対処」と批判していますが、あなた自身が言及している「特製強化UPSと超高性能クリーンバッテリーシステム」もまた、物質的な『表面的な対処』に過ぎません。本当の『根深い汚れ』とは、まさしく、あなたのような精神的な未熟さを指すのではないでしょうか。

真の危機管理とは、物質的な備えと同時に、精神的な備えを怠らないことです。私の専門とする古武道では、いかなる緊急事態においても、まずは呼吸を整え、心を静めることを重視します。

電力供給が途絶え、物理的な光が失われたとき、内なる『規律の光』が失われていないか。己の心が暗闇に飲まれていないか。そこを問い直すことこそが、真の『対処』です。

『見えない脅威』の定義を誤っていませんか、清水先生

清水先生は瞬断の際、「緊急時の微生物エアロゾル拡散シミュレーションを実施し、学内における潜在的な汚染経路を割り出す絶好の機会と捉えました。」と仰っています。

情報システムの林 育夫教授は、ネットワーク機器のダウンタイムを最小限に抑えるため、まるで『ウイルス』と戦うかのように精密な除菌作業を施しながら復旧にあたっていました。彼は床に落ちた抜け毛すら許さない、真の衛生環境の守護者。彼とはよく、『見えない汚染物質』との戦いについて語り合います。彼がネットワークの物理層をクリーンに保つように、私も生活空間の生態系をクリーンに保つ。アプローチは違えど、目指すは同じ『絶対的清潔』の境地ですね。

清水先生、あなたは『見えない脅威』の対象を、微生物やウイルス、汚染物質といった外部の存在に限定しています。しかし、真の『見えない脅威』とは、我々の内面に潜む慢心、怠惰、無規律といった精神的な毒のことです。

林先生が「物理層をクリーンに保つ」のは素晴らしいことです。しかし、その物理層を動かす人間の精神層が乱れていては、いかなるシステムもやがて破綻するでしょう。その一点において、あなたの目指す『絶対的清潔』は、あまりにも脆弱な基盤の上に成り立っていると言わざるを得ません。

私が教える武道には、「心眼」という言葉があります。これは、目に見えるものだけでなく、その奥にある本質を見抜く力です。微生物やウイルスは確かに存在しますが、それらは人間の心の乱れが作り出す環境に乗じて繁殖するものです。つまり、真の『汚染経路』とは、無秩序な生活、乱れた精神、そして規律を欠いた生き方そのものなのです。

武道と『見えない敵』

古武道において、『敵』は必ずしも目の前にいる人間だけではありません。病、老い、そして何よりも自身の内なる弱さや慢心こそが、最大の『見えない敵』とされます。

『見えない汚染物質』を外部に求めるのではなく、己の精神の『汚染』にこそ、目を向けるべきです。

他者の『不潔』を槍玉に挙げる前に、自身の『精神の乱れ』を省みなさい

IEUが誇る(?)『特級汚染区域』、内臓教授(naizo)の研究室ですよ。あの瞬断の際、彼の研究室からは、まるで深海魚が逃げ出すかのような、形容しがたい異臭が漂ってきたという報告を受けました。」「換気システムが一時停止した影響でしょうか。いや、一時停止していなくとも、常にあの空間は『バイオハザード区域』に指定されるべきレベルですよ。

清水先生、あなたのこの発言は、何様のつもりですか。他者の研究室を公然と『特級汚染区域』などと嘲笑し、『バイオハザード区域』とまで言い放つその態度こそが、最も忌むべき『精神の不潔』ではないのですか。

私は内臓教授の研究室を擁護するわけではありません。確かに、物理的な『清潔』という観点では、改善の余地があるのかもしれません。

しかし、あなたのような言葉の刃で他者を傷つける行為は、いかなる『除菌』よりも深刻な『汚染』を、この大学にもたらします。他者の欠点をあげつらい、自らの『清潔』を誇示する姿勢は、慢心以外の何物でもありません

古武道では、常に相手を尊重し、礼節を重んじることを教えます。言葉の暴力は、刀で人を斬りつけることと同義です。あなたは、その『洗剤』で他者の尊厳まで洗い流そうとしているのですか。

私は常々、彼のリサーチを『未知の病原体研究』と称していますが、実際は『放置された不潔が生成する究極の汚染物質』に関する実地研究なのではないかと疑っていますね。いつか、あの部屋に防護服を着て強制清掃に突入する日を、私は心待ちにしています。そのために、対naizo用特殊洗剤の研究開発も着々と進めていますよ。彼の研究室の扉を開くには、特殊な除菌プロトコルが必要不可欠です。

実に不快な発言です。他者の研究環境、ましてや学術的活動に対し、『強制清掃』や『特殊洗剤』などと、あたかもテロリストを制圧するかのような表現を用いるのは、大学人として、そして人間として、あるまじき行為です。

内臓教授がどのような研究をしているかは存じませんが、その『異臭』とやらも、彼が己の探求に没頭し、他の全てを顧みないがゆえの『規律』の表れである可能性も、あなたには考えられませんか。あなたの『清潔』は、あまりにも視野が狭く、他者への想像力に欠けています

私の目の前で二度と、そのような暴言を吐くようなことがあれば、私はあなたを斬り捨てますよ

長田教授の『秩序』を、貴方の『除菌』と並べる愚

一方で、私の盟友、収納の専門家である長田教授(osada)とは、この瞬断を機にさらに連携を強化しました。彼は『片付け(収納)』で空間を整え、私は『掃除(除菌)』で空間を清める。アプローチは違えど、目指すは同じ『機能的で清潔な生活空間の創造』です。

長田教授は、確かに『規律』と『秩序』を重んじる方です。彼の『収納術』は、物の配置に意味と必然性を見出し、空間に調和をもたらすものであり、私の『規律』の思想と通じるものがあります。

しかし、清水先生、あなたは長田教授の『秩序』の本質を全く理解していません。彼の「片付け」は、単なる表面的な「収納」ではなく、空間と心の関係性を深く見つめた上での『精神の整理整頓』に他なりません。

それをあなたの、ただひたすら微生物を殺すだけの『除菌』と同一視するのは、長田教授に対する侮辱であると私は考えます。

長田教授は「物が散乱している状態では、掃除もままならない」と言いますが、私は「物が散乱しているからこそ、その下に潜む『隠れた汚れ』を徹底的に洗い出す機会だ」と捉えますね。

この発言は、あなたの『清潔』に対する病的な執着を浮き彫りにしています。長田教授の言葉は、「秩序がなければ、真の清潔は維持できない」という、極めて本質的な規律の教えです。それに対し、あなたは混乱の中から「汚れたもの」を見つけ出すことのみに喜びを見出している。それは、病巣を外科的に除去することにしか興味のない医師と変わりません。真の治療とは、病気にならない身体と心を作ることでしょう。

長田教授が目指す『機能的で清潔な生活空間』とは、無駄を排し、精神的な落ち着きをもたらす空間のことです。私の専門とする和食の『ストイックな食文化』もまた、無駄を排し、素材の本質を味わうことで、心身の調和を促すものです。あなたの『除菌』は、その本質からかけ離れています。

『コロコロ』では拾えない、真の『不潔の種』

清水先生は「私は常に、この手にコロコロ(粘着カーペットクリーナー)を携えています。床に落ちた微細な埃、髪の毛一本すら、私の視界からは逃れられません。これらは単なるゴミではない。『不潔の種』であり、『汚染の兆候』です。」と仰っています。

清水先生、あなたは本当にそうお考えなのですか?

微細な埃や髪の毛は、確かに目に見える『汚れ』の象徴かもしれません。しかし、それらは自然の摂理の一部でもあります。人間が生きる限り、埃は舞い、髪は抜け落ちます。それを全て『不潔の種』として排除しようとすること自体が、自然の理(ことわり)に反する、ある種の『傲慢さ』ではないのでしょうか。

武道においても、袴の埃を払う、木刀の手入れをするといった行為は日常です。しかし、それは道具への感謝と、自己の修養のための行為であり、病的なまでの『不潔』への恐怖から来るものではありません。

あなたが『コロコロ』でいくら表面的な汚れを拾い集めても、あなたの心の中から『不潔の種』を根絶することはできません

真の『不潔の種』とは、己の欲望に振り回され、規律を失い、精神が乱れることです。それは『コロコロ』では拾えません。瞑想を通じて心を静め、自己啓発によって精神を鍛えなければ、永遠にその『種』は心に残り続けるでしょう。

自転車リアカメラが映し出すのは『外部の脅威』。内なる『死角』は映りません

清水先生は、「自転車の車道走行における『後方確認の不安』を解消する、リアライト一体型ドラレコ「BACKEYE」に関するものでしたね。後ろから迫る車の恐怖。これ、まさに『見えない脅威』の典型ではありませんか。私はこのニュースを読み、直感しました。これは、私の専門領域である『室内環境の清潔維持』における、『見えない汚れ』との戦いと全く同じ構図だと。」と、自身のブログのテーマについて述べています。

そして「自転車の運転手にとって、後方は『死角』であり、そこに潜む危険はまさに『汚染源』です。そして、その『汚染源』を『可視化』し、対策を講じる。これこそ、私が日頃から提唱している『予防的除菌戦略』の根幹なのですよ。」と結論づけています。

清水先生、あなたの比喩は、根本的に誤っています

自転車のリアカメラが『可視化』するのは、外部から迫る物理的な『脅威』です。それは、交通ルールや周囲の状況によって生じるものであり、ある意味で明確な対処法が存在します

しかし、あなたが言う『室内環境の清潔維持』における『見えない汚れ』とは、単なる外部からの侵入者だけではありません。むしろ、その多くは、住まう人間の『だらしなさ』や『心の乱れ』から生じるものではないのですか。

自転車リアカメラは、運転手の『心の死角』は映しません。内なる怠惰、規律の欠如、物への執着、これらが真の『汚染源』であり、真の『見えない脅威』です。それを外部の道具で『可視化』し、『除菌』しようとするのは、本質から目を背ける行為に他なりません。

武道において、最も恐れるべきは、己の内なる『死角』です。それは、慢心であったり、過信であったり、あるいは恐怖であったりします。これらは外部のカメラでは決して映し出されません。自身の精神を鍛え、日々の修練を通じてのみ、その『死角』を克服し、真の『安全』と『清潔』を手にすることができます。

「予防的除菌戦略」と仰るのなら、まずは「予防的精神修養戦略」を実践なさい。それこそが、あらゆる『不潔』から自身を守る、最も堅固な防具となるでしょう。

結論:真の『清潔』とは、心身を律する道筋にあり

清水 潔先生。あなたの『清潔』への探求心は、ある意味で評価できるのかもしれません。しかし、それはあまりにも物質的、表層的なものに終始しており、真の『清潔』とは何かを全く捉えられていません。

あなたは、外側の汚れを『除菌』することばかりに目を向け、内なる汚れ、すなわち精神の乱れや規律の欠如には、全く無頓着です。

高圧洗浄機や特殊洗剤、ロボット掃除機がいくら進化しても、それを使う人間の心が濁っていては、真の清らかさは訪れません

他者の『不潔』を批判し、自らの『清潔』を誇るその言動こそが、最も忌むべき『精神の汚染』であると、私は断言します。

真の『清潔』とは、心身の規律が保たれ、精神が研ぎ澄まされた状態を指します。それは、武道の稽古を通じて身体を鍛え、心を磨くことから生まれます。瞑想によって雑念を払い、自己と向き合うことで得られる平静です。そして、ストイックな和食を通じて、身体の内側から清めることです。

もし、あなたが本当に『清潔』を探求したいのであれば、私の研究室を訪ねなさい。

私は、古武道を通じて培われる精神の鍛錬、瞑想による心の浄化、そして自己啓発による内なる規律の確立こそが、究極の『清潔』への道であることを、木刀と袴、そして模造刀の精神性を通じてお教えしましょう。

外部の『除菌グッズ』に頼るばかりではなく、自身の内面を磨くことの重要性を、あなたは学ぶべきです。

この国際叡愛総合芸術大学の秩序と規律は、私が守ります。今後も、浅はかな言動や本質を見誤った思想が学内で蔓延るようなことがあれば、私は躊躇なく、その思想を、そして必要とあらばその者すらも、斬り捨てますよ

世古 フィリア

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